1989年11月の九州場所で土俵入りする千代の富士 (c)朝日新聞社
1989年11月の九州場所で土俵入りする千代の富士 (c)朝日新聞社

 8月3日、元横綱千代の富士、九重親方(本名・秋元貢、7月31日、膵臓がんで死去、享年61)のお別れの会の知らせが朝刊に載った。主催は九重部屋後援会。昨年亡くなった北の湖前日本相撲協会理事長の盛大な協会葬に比べ、相撲界で大鵬の前に、国民栄誉賞を受賞した大横綱への手向けとして、違和感は否めない。

「九重親方は歴史に名を残した方です。しかしながら、晩年は不遇を託(かこ)っていた。何も仰(おっしゃ)らなかったけど、さぞ無念だったのではと思います。ただただ残念です」

 元衆議院議員で、相撲協会評議員会議長の池坊保子さんは“稀代の大横綱”の心中を慮(おもんぱか)り、その死を悼んだ。

 九重親方の現役時代の偉大な記録の数々は、角界の歴史に燦然と輝く。優勝31回(史上3位)、通算白星は1045(同2位)。183センチ、123キロと力士としては小柄ながら、鍛え上げられた筋肉を躍動させ、大型力士を投げ飛ばす豪快な相撲が人気を集めた。その姿は「ウルフ」の愛称に相応(ふさわ)しかった。

 北海道福島町出身。15歳の時に千代の山親方の九重部屋に入門する。1970年に初土俵を踏んだ。細身の体で、肩の脱臼などケガにも苦しんだ。しかし、77年に千代の山が亡くなり、先代九重親方(元横綱・北の富士)が部屋を継承したことが転機となる。

「千代の富士は、北の富士さんの指導で上半身を鍛え上げていきました」(相撲担当記者)

 81年の初場所、優勝決定戦で北の湖を制し、14勝1敗で初優勝。この年、関脇から大関、横綱へと一足飛びに昇進し、三つの地位すべてで優勝し「ウルフフィーバー」を巻き起こした。91年、5月場所の初日に当時18歳の新鋭、貴花田(現・貴乃花親方)に敗れ、3日目の晩、「気力、体力の限界……」と涙ながらに絞り出した引退会見はいまも印象に残る。

 だが、現役時代の華々しさと裏腹に、引退後は孤高の人だった。

 元来の向こうっ気の強さが、しばしば仇となった。功績が特に著しい力士に認められる「一代年寄」を辞退。92年、九重部屋を先代・北の富士から継承する。相撲担当記者が語る。

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