「クラリネットは惨憺たる状態でしたね。誰も相手にしてくれなかったです(笑)。当時はスウィングをやっていると、『古いな』って言われましたよ。僕もアルト・サックスをやったり、ちょっとビバップ系のクラリネットをやってみたこともあるんですよ。ビバップに関しては、バディ・デフランコのレコードを聴いて、コピーした時代がありました。それで、グレン・ミラー・オーケストラのリーダーとしてバディが日本に来た時に楽屋を訪ねて、自分がレコードからコピーしたフレーズを本人の前で得意になって吹いたんですよ。そうしたら、『よく音を取ったね。君はアマチュア、それともプロ?』と訊くので、『プロです』と言ったら、途端に怒り出して、『プロが俺の真似をするなんて、冗談じゃない。自分のものがないじゃないか。スタイルは何でも良いけれど、自分のスタイルがない限り、プロとは言えないんだよ。コピーなんかやめて、自分のスタイルで吹いてみろ』って言われた。大ファンだった人から言われたので、僕はビバップをやめ、スウィングのスタイルに戻ったんです」

 クラリネットが少し停滞した時期に、北村は昔ながらのスウィングではなく、ビバップに一度足を踏み入れた経験を活かし、新しいスウィングのスタイルでプレイするようになる。

「僕はちょっとモダンなスウィングをガンガンやることにしたんです。そうしたら、嬉しいことに、ロサンゼルス・タイムズに記事が載ったんですよ。僕の演奏を聴いたレナード・フェザーという評論家が、『クラリネットの出ずる国、日本』と書いてくれたんです。『クラリネットの沈滞を救った男』とね。嬉しくて、その記事は宝物のようにしています」

 77年に初めて出演したアメリカのモンタレー・ジャズ・フェスティバルで、スタンディング・オベーションを受けて以来、同フェスティバルに19回出演するなど、世界を舞台に活動を続けた北村は、スタン・ゲッツ(サックス)、ウディ・ハーマン(クラリネット)、ディジー・ガレスピー(トランペット)、ベニー・カーター(アルト・サックス)、テディ・ウィルソン(ピアノ)といった著名なミュージシャンたちと親交を深め、彼らから多くのことを学んだという。

「いろいろなフェスティバルに行って、いろいろな人と共演ができるのは財産ですね。若いとか年寄りとか関係なく、何かを持った人は勉強になります。僕は人に教えることは決してうまくないけれど、教わることはうまいと思うんです。欲張りなんですよ(笑)。世界中を見回すと先生ばかりですね。勉強することはたくさんあります。いろんなことを吸収したいんですよ」

次のページ