革命家の思いは消えた 皇太子に火炎瓶投げた男のその後の人生 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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革命家の思いは消えた 皇太子に火炎瓶投げた男のその後の人生

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その後の40年は…(※イメージ)

その後の40年は…(※イメージ)

 1975年7月17日、皇族として戦後初の沖縄訪問を果たした皇太子夫妻(当時)は、その初日にひめゆりの塔を訪れ、慰霊の献花をした。と、その瞬間、近くのガマ(洞窟)に潜んでいたふたり組の新左翼活動家が現れ、一方が放った火炎瓶が皇太子の近くで燃え上がった──。ノンフィクションライターの三山喬氏は、実行犯と対面し、彼の生きた「その後の40年」を聞いた。

*  *  *
「赤と黒のヘルメット、どちらがあなたですか」

 映像の記憶を確かめると、初老の男性は「私は黒ヘルです」と答えた。

 知念功。事件当時は25歳、沖縄解放同盟(沖解同)という在京の沖縄出身者でつくるセクトの幹部だった。もうひとりの「赤ヘル」は、共産主義者同盟戦旗派というセクトに所属する本土の活動家。事件は両団体の共同作戦だった。

 犯行現場はもうひとつあった。皇太子の車列が通る沿道の病院3階から空き瓶やスパナを投げたふたり組がいて、こちらも沖縄人と本土人の組み合わせだった。

 知念は20年前に事件の回顧録を著している。それを読む限り、出所後も思想的な転向はないように思える。

 天皇主義者を《告発、糾弾、弾劾》し、幅広く《反戦平和運動に決起せんことを提起する》。しかし、そんな勇ましい文章は、目の前のやつれた男とは、重ならない。

 前の週、知念は県外の小さな集まりで、若き日の犯行を「悔いはない」と語ったという。「本当に?」と確かめると、虚を突かれたのか、絶句してしまった。その精神状態にはかなりムラがあるようだ。

 途切れ途切れの述懐をまとめると、概ねこんなことだった。


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