警備員のアルバイトの傍らラジオ劇の脚本やネット記事を書く石原は40歳。本土復帰後の沖縄しか知らない新世代だ。ラジオ劇の下調べをきっかけに郷土史にのめり込み、「沖縄の歴史は不条理なことだらけだ」と感じるようになった。最近は、フェイスブックで知り合った仲間たちと現代史の勉強会を重ねている。

 米軍基地問題で、沖縄が公然と「県外移設」を訴えるようになったのは、まだ10年足らずの現象だが、そのことは現地に大きな思想的変化をもたらしている。反安保の人々は「基地のない沖縄」という理想論をひとまず置き、「本土との公平性」というシンプルな論点で、安保容認の基地削減派と足並みを揃えている。イデオロギーの封印は、沖縄の歴史的立ち位置を浮き上がらせ、いくつもの新しい議論を産み出すようになったのだ。

 3年前に結成され、会員数300人を超えた「琉球民族独立総合研究学会」の活動がその象徴だが、それだけではない。独立を論ずる前にまず、マイノリティーである沖縄の主張をいかにして政策につなげるか、そのための方策や理論武装を模索する動きが、さまざまなレベルで始まっている。

 地元メディアによる昨年5月末の共同世論調査では、沖縄の将来像を「独立」に求める人は8.4パーセント。国内の一県のままでいい、とする66パーセントと比べるとはるかに少ないが、11年調査時の独立支持4.7パーセントからは数を増やし、特別自治州などを目指す21パーセントと合わせると、約3割の県民が自治権を拡大する方向で制度変更を求めるまでになった。

 独立論者の一部には、国連に「先住民」としての権利を訴えてきた人々もいて、国連人種差別撤廃委員会は一昨年、沖縄人を先住民と認める「最終見解」を出し、日本政府に民意の尊重を求める勧告をした。

 こうした中、独立論とは一線を画し、新たなキーワードになり始めた概念が、「自己決定権」である。前述した世論調査では、実に87パーセントもの人々が、自己決定権を「広げるべきだ」と答えている。

 この言葉は、琉球新報が一昨年から昨年にかけ、100回連載した企画記事『道標(しるべ)求めて』で市民権を得た。このキャンペーンは昨年秋、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞している。

週刊朝日 2016年1月22日号より抜粋