有楽斎家16代当主裕美子氏おだ・ゆみこ/1955年生まれ。南山大学外国語学部卒業。現在、名古屋ロータリークラブ・事務局に勤務。有楽流の宗家として、自ら教えている。信長の弟・有楽斎(長益)から続く家系の子孫(撮影/今祥雄)
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有楽斎家16代当主
裕美子
おだ・ゆみこ/1955年生まれ。南山大学外国語学部卒業。現在、名古屋ロータリークラブ・事務局に勤務。有楽流の宗家として、自ら教えている。信長の弟・有楽斎(長益)から続く家系の子孫(撮影/今祥雄)
『信長の肖像』著者志野靖史氏しの・やすし/1971年生まれ。早稲田大学第一文学部史学科卒業。在学時に漫画家デビュー。漫画の代表作に『内閣総理大臣織田信長』。今年、朝日時代小説大賞を本作で受賞して作家デビュー(撮影/今祥雄)
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『信長の肖像』著者
志野靖史
しの・やすし/1971年生まれ。早稲田大学第一文学部史学科卒業。在学時に漫画家デビュー。漫画の代表作に『内閣総理大臣織田信長』。今年、朝日時代小説大賞を本作で受賞して作家デビュー(撮影/今祥雄)

 時代に挑戦した革命家、残忍な征服者、茶を愛し、安土城を築いた芸術家──。いくつもの顔を持ち、謎を多く残したまま、非業の死を遂げた織田信長は、人気ナンバーワンの戦国武将だ。織田家18代当主・織田信孝氏、信長の弟・有楽斎(長益)から続く有楽斎家16代当主・裕美子氏が『信長の肖像』の著者・志野靖史氏と鼎談し、魅力を語り尽くした。

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志野:信長は、魔王のような印象がある一方で、非常に優しくヒューマンな面もある。『信長公記』に有名なエピソードがあります。美濃の、体が不自由で物乞いをする男の元へ信長が自ら木綿を持ってきて、村の者にこの男が身を立つようにしてやってくれと言いつけて帰ったという話です。これを読み、人間的に非常に振幅があり、腹を立てたらとんでもなく恐ろしいけれど人間味もある人物だと感じました。子供がそのまま大人になった人。

信孝:わかります。

裕美子:そういうパーソナリティーがありますね。

志野:漫画と小説と、僕は2度、信長様に助けていただきました。

信孝:寧々(秀吉の正室)に宛てた手紙も有名です。

裕美子:時々そういうのがある。

信孝:私が記憶にあるのは、信長が、ある村を通った時、農民が野良で昼寝をしていたので周りは失礼だと憤ったけれど、農民がのんびりしていられるのがいい世だから責めるなと見過ごしたという逸話。この寛大さ。振幅の大きさは、確かに魅力ですよね。

志野:武田信玄や上杉謙信だって調べれば残酷な行いをしている。でもどこか計算ずくに感じます。信長は喜怒哀楽があまりに激しいものだから残酷な面が特に印象づいてしまうというか。

裕美子:信長は固定観念を飛び出して世の中を変えていった人。だから確かに怖くて冷血な部分も目立ちます。でも同時に、ごくあたりまえのことをちゃんとする人でもあったのではないでしょうか。実はうちの家に信長の書いたお正月の手紙が残っていて……。

信孝:えっ、手紙?

裕美子:信長の署名付きの。どなたか女性に信長が正月にお年玉だか贈り物をあげたようです。「この一しゅおくり候」とあって、またそちらに行くよなどともしたためてあり、側室かもと……。プライベートでは意外に柔らかくそういうことをきちんとする面もあったのかなと思いました。

信孝:すごいなあ。うちにはそういうのは残っていない。裕美子さんのおうちは確か『信長公記』も……。

裕美子:巻頭の部分だけがあります。「ユネスコ記憶遺産」公募に京都の建勲神社さんと一緒に申請しました。残念ながら選外でした。

志野:信長の一般的なイメージは何より天下統一間近まで行ったきわめて合理的な戦略家ですよね。ただ『信長公記』を早くに読んでいたので僕の中の信長は当初から作中そのままの自由人。こういう人がよくあそこまで行けたなというか。

信孝:本性のままで、ですね。

志野:ええ。信玄や謙信などとは違う。この二人などは教養があり陶冶(とうや)された人格、完成された武将です。

(構成 出版部・水野朝子)

週刊朝日 2015年12月25日号より抜粋