林:へぇー。

舟木:あのときの景色も言葉も、いまでもはっきり覚えてます。堀さんはそのとき、「こんな生意気なやつはいない」と思ったって、あとから聞きました(笑)。

林:ほめてしかるべきだと思いますよ。「その心意気やよし」と。

舟木:上京して約1年後の6月5日、「高校三年生」でデビューしたら、1カ月で30万枚ぐらい売れたんです。25日に堀さんに呼び出されて、「たった20日でこんなに売れちゃって、いくら払っていいかわからない。とりあえず今月はこれで勘弁してくれ」と最初のお給料をポンと渡されて、翌月から歩合制になったんです。

林:お金がバンバン入ってきたわけですね。でも若いから使い道が……。

舟木:うちは親父があんなですからね。とにかく妹と弟に僕と同じ思いをさせちゃいけないと、20歳のときに家を買って家族を呼んだんです。

林:お父さん、困ったことがいろいろあったんですか。

舟木:「飲む、打つ、買う」を人の10倍ぐらいやる典型的な遊び人でした。小さな映画館と興行師をやってましたが、僕が売れたことで50歳くらいで仕事をしなくなっちゃったんです。僕、親父に言ったことあります。「いくら僕が売れたからって、一家の大黒柱を放棄したのは、失敗だろ」って。

林:お父さまのこと、たしかお芝居にされてますよね。

舟木:僕は最初「いやだ」と言ったんです。お金を取ってお客さまに見せる種類のものじゃありませんからね。

林:お芝居はお父さまが亡くなられてからですか。

舟木:そうです。親父が亡くなるまで、僕は親父に関して一言も外でしゃべったことはないんです。親父の人生ですからね。だから「週刊明星」が、親父が女房を取っかえたという話を書いたときには、編集部に怒鳴り込みに行きましたよ。翌日か翌々日、当時の副社長と編集長が謝罪にいらして、逆にこっちが恐縮しちゃいましたが。

林:それはそうですよ。「週刊明星」がバーンと売れたのは、舟木さんのおかげですもん。

週刊朝日  2015年12月18日号より抜粋