隠居生活していた原節子 宝田明の取材依頼を拒んだ理由 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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隠居生活していた原節子 宝田明の取材依頼を拒んだ理由

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デビュー間もないころの原さん (c)朝日新聞社

デビュー間もないころの原さん (c)朝日新聞社

 小津安二郎監督、黒澤明監督など名だたる巨匠の作品に出て日本映画の黄金時代を支えた原節子さんが亡くなった。数々の作品で共演した俳優の宝田明さんは、原さんが引退した後に電話で話したことがあるという。

*  *  *
 私が東宝に入ったころには原節子さんは大スター。「婚約三羽烏」(56年)で初めてご一緒しましたが、話しかけるのも恐れ多い。大女優の貫禄があって、最初は近寄りがたかったですね。

 その後、引退されるまでに6作でご一緒しました。特に印象に残るのは「娘・妻・母」(60年)。山梨の甲府でロケをしましてね。撮影が終わって、旅館に戻って若手俳優たちとトランプで遊んでいたんです。そうしたら旅館の浴衣に羽織姿の原さんがふっと現れた。少し千鳥足で、にこにこ笑いながら、熱燗のお銚子を2本持ってね。「みなさん何してらっしゃるの」と入ってきたんです。すごくかわいらしいでしょう。

 とにかく笑顔がたまらなく素敵な方でね。言葉づかいも丁寧で、美しい日本語を話されました。日本の真なる美を秘めた女優さんだったんじゃないでしょうか。

 原さんは引退声明も出さずに、突然映画から身を引かれたわけですけど、早すぎますよね。ご本人の心の中には悩まれていたことがあったのかもしれませんけど、われわれには一言もなかったし、そぶりもなかったですね。

 原さんが60歳を過ぎたころだったかな。ある雑誌社から取材の仲介を頼まれましてね。私はおそらく無理だろうと思いながら原さんのお宅に電話したんですよ。すると「宝田君、悪いけどね、私はもう映画を引退したので、今更出ちゃうとあっちもこっちもとなるから一切お断りしてるんですよ」と。これはもうそっとしておくべきだなと思いましてね。声は若いころと変わらず、笑いながら、原さん独特のお声でね。華やかな空気は全然損なわれていませんでした。

 今とは違って、映画界で培われた銀幕の大女優さん。50、60、70代と原さんの演技を見たかった。原さんのような女優は二度と出てこないだろうなあ。

週刊朝日 2015年12月11日号


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