織田家18代当主・織田信孝「『信長公記』を世界記憶遺産に」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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織田家18代当主・織田信孝「『信長公記』を世界記憶遺産に」

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 信長に仕えた太田牛一がまとめた「信長公記(しんちょうこうき)」。現在、ユネスコの記憶遺産へ登録しようという動きがあるが、織田家18代当主・織田信孝(のぶたか)氏は、外国人がどう評価するか興味があるという。

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 織田信長について書かれたものに必ずと言っていいほど、引用文献として出てくるのが「信長公記」だ。書いたのは信長に仕えた太田牛一。彼が信長についてつけた膨大なメモをまとめたもので、全部で15~16巻にもなる。太田牛一は事実のみを書く姿勢に徹したので、史料としての評価は非常に高い。

「信長公記」の名は、歴史好きでなくとも知っている人は多いと思うが、この書物をどこが所有しているかを知っている人は少ないだろう。所有者はいくつかあるが、その一つが、京都・船岡山にある建勲神社である。建勲神社の「信長公記」は太田牛一の自筆本で重要文化財である。管理は京都国立博物館に任せている。

 船岡山は京都市北区にある小高い丘で、その頂上に建勲神社はある。明治2年に、明治天皇からの命を受けて建立された。宮司の松原宏さんは「信長公にふさわしい、凜(りん)とした雰囲気の社でありたい」と語る。

 私は20年ほど前、夫婦で京都を旅行したとき、たまたまこの神社に足を運び、松原さんと話をした。するとしばらくして、10月の大祭(船岡大祭)へのお誘いのはがきが届いた。以来、毎年この大祭に出席している。大祭は毎年、織田信長が初上洛した10月19日に行われる。公開の催しなので、地元の市民のほか、観光客が遠巻きに見物していたり、小学生が先生に連れられて社会科見学に来ていたりする。最初、その中で名前を呼ばれ、出て行って榊をお供えし、参拝するのはかなり緊張したものである。大祭が終わったら、近くの大徳寺へ向かい、その中の総見院で信長や信雄(のぶかつ)の墓に手を合わせるのが近年の習慣になっている。


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