法政大学文学部助教 山田夏樹

やまだ・なつき=1978年、東京都生まれ。著書に『ロボットと〈日本〉 近現代文学、戦後マンガにおける人工的身体の表象分析』。

(1)『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著 小林章夫訳 光文社古典新訳文庫 800円
(2)『アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題』大塚英志 徳間書店 (品切れ)
(3)『荒野のおおかみ 押井守論』上野俊哉 青弓社 2800円

 評者の関心は一貫して、フィクションで描かれるロボットの表象にある。
 その意味でまず『フランケンシュタイン』は外せない。1818年にイギリス人作家メアリー・シェリーにより発表された同作は、概念としては最初のロボットを描いたため、SF小説の原点とも見なされている。
 フランケンシュタイン博士は自らの科学力で生命創造を夢見るが、実際に生まれた存在は〈不完全〉な「怪物」と扱われ、結果的に対立した両者は相打ちのように共に死に至ることとなる。
 この結末からも読み取れるが、実は両者は分身のような存在なのであり、「怪物」を〈不完全〉と見なし、その上で、そうでないものとしての、人間の〈完全〉性を信じて疑わない博士の価値観自体に亀裂が入れられていく展開に同作の批評性がある。ロボットとは人間の分身、似姿であり、しばしば指摘されることであるが、精巧な二足歩行ロボットを見た時に感じるざわめきのように、我々の存在自体に揺さぶりをかけるものなのである。
『アトムの命題』は、簡素な表現であったマンガの登場人物に、手塚治虫がどのように生命感を付与していったかを明快に検証している。つまり、マンガを描くこと、紙の上に人間を創造していくこととは、ロボットを創造する行為と同様のものなのである。
『荒野のおおかみ』は、押井守の作品の批評が中心であるが、評者が特に興味をもったのは「第4章 転回のメタルスーツ」である。そこでは晩年の三島由紀夫の存在を、虚構の、人工的肉体と捉えた上で、後のサブカルチャーもあたかもそうした三島を模倣するかのようにロボットを描いていること、しかし同時に、戦後日本の虚構性、人工性自体を照らし出すものともなっていることを分析しており、刺激的だ。

●日本科学未来館 科学コミュニケーター 志水正敏

しみず・まさとし=1986年、本県生まれ。科学コミュニケーターとしてのブログはhttp://blog.miraikan.jst.go.jp/author/mーshimizu/で読める。

(1)『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』石黒 浩 講談社現代新書 740円
(2)『クラウドからAIへ アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』小林雅一 朝日新書 780円
(3)『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』松尾 豊 KADOKAWA 1400円

 東京・お台場の日本科学未来館では、ヒューマノイドロボット「ASIMO(アシモ)」など、さまざまなロボットを展示しています。動きを見たお客様からは「『すごい』技術ですね」とよく言われます。もちろん嬉しいことですが、見た目の素晴らしさだけではなくロボットや人工知能が持つ可能性にも思いをはせていただきたいというのが私たちの思いです。
 そんな未来を想像するにふさわしい3冊をご紹介しましょう。
 人間そっくりのロボット「アンドロイド」の研究で世界的に知られる石黒氏の『ロボットとは何か』。石黒氏は「ロボットの研究とは人間を知る研究である」と記しています。氏のアンドロイドは、人間が離れたところから操作できるのが特徴で、操作者はあたかもアンドロイドに乗り移ったかのような感覚になります。
 人間の心は体と離れて存在できるのか? そんな哲学的な研究にロボットが使われ始めています。当館でもアンドロイドを見ることができるので、お越しの前にどうぞご一読を。
 次は、人工知能の本を2冊。『クラウドからAIへ』は、人工知能の産業応用を知るには格好の一冊です。人工知能は、自動運転や音声認識などさまざまな分野への応用が進んでいます。この本には、海外の研究事情も詳しく描かれ、日本も社会における人工知能の位置づけを考える時期が来ていることを実感させられます。
『人工知能は人間を超えるか』は、研究者である松尾氏らしく、技術のしくみについて丁寧に書かれた一冊。副題にある「ディープラーニング」は、2012年、人工知能自らがネコの概念を獲得したとされた「グーグルのネコ認識」にも使われた技術です。松尾氏は、可能性を議論するには、技術の現状に対する正しい認識を持つ必要がある、と述べています。

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