戦地に散った球児たち(5)<作家・木内昇> (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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戦地に散った球児たち(5)<作家・木内昇>

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 昭和8(1933)年、延長25回に及ぶ伝説の準決勝で敗退した明石中。大投手の楠本保(14~43)を温存、2番手の中田武雄(15~43)が登板したのはなぜだったのか。ともに慶応大へ進み、楠本の妻が嫉妬したほど仲が良かった二人。戦地での最期も、連れ立つかのようだった。

*  *  *
■昭和8年 明石中 主戦不在の延長25回

 明石の楠本か、楠本の明石か──そう言わしめた、チームの大黒柱だった。明石中学投手・楠本保。昭和5(1930)年から8(33)年にかけ、春夏合わせて6回甲子園に出場、球場を沸かせた選手である。

 とびきり速い、しかもズシンと重い球を投げた。明石中の捕手・福島安治は、楠本の球を受けるようになってミットをはめた左手が一回り大きくなったという。楠本保のご子息・楠本保彦さん(72)も、かつて福島氏に直接会った折、「この親指がもう曲がらんのや」と左手を見せられた。

「あまりの豪速球に、球を受けると体ごと後ろに吹っ飛ぶほどの衝撃だったそうです。左手の甲まで内出血して真っ青になった、と」

 速球派投手でもただ速いだけならば攻略の糸口はある。食らいついて当てにいけば、球が速い分、打球に飛距離が出るのだ。が、楠本の球は、ミートしても飛ばない。対戦相手はみな、その名を聞くと顔を曇らせた。「自分たちの野球」をさせてもらえないからだ。

 フォームも独特だった。センター方向に一旦体を回し、サイドスロー気味に腕を振り下ろす。打者に背中を見せるため、どこから球が出てくるかわからない。野茂英雄のトルネード投法によく似ていたという。


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