作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。慰安婦問題を語る、日本女性の愛国運動についてこんなことを感じたという。

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 2年前、愛国にはまる女性たちを取材した。愛国運動といえば、街宣カーに乗って迷彩服を着てる、というイメージは過去のもので、今は中高年の女性たちが街中に立ち、感じよい雰囲気で、「アメリカがつくった憲法なんていりませーん! 5月3日は憲法記念日じゃなくて、ゴミの日にしませんか~!?」と話術巧みに訴えたり、「憲法24条の男女平等、必要ですか? 日本はレディファーストなんていらないんです。日本の男性は、自分がドアをあけて先に敵がいないかどうか確認してくれてるんです~!」などと軽やかに語る愛国運動もある。私が最も驚いたのは、そんな彼女たちが一番熱心に語るのが、「慰安婦」問題についてだったこと。曰く、「男性が慰安婦問題をやるといじめになるので、私たち女性が日本の名誉のために考えます!」というもの。中には「私のおじいちゃんは、レイプなんかしてない!!!」と涙ながらに訴える若い女性や、「韓国のおばあさんの涙と、日本のおじいさんの涙、どちらを取るかという話」とサラリと言う女性もいた。

 女だからといって、「慰安婦」に痛みを感じるわけではない。むしろ、女だからこそ、「私は自ら慰安婦になります! 兵隊さんを癒やす仕事は尊いんです!」と言うこともできるのだ(実際にいた)。

 
 こういう話をすると、女の敵は女、と言いたがる人はいるが、違う。やはり私たちは引き裂かれているのだと思う。性、男、国家を軸に女たちは分裂する。それが社会のマイノリティ側であるということだから。強者の余裕を前に、常に分断されるのが、女という現実だ。

 先日、「慰安婦」関係の裁判を傍聴した。裁判の詳細はここでは省くが、慰安婦は性奴隷だったのか否か、ということが、その日は2人の歴史学者の証言によって法廷で語られていた。原告である吉見義明氏は膨大な資料と国際条約による「奴隷」の定義から「日本軍慰安婦は軍性奴隷制度だった」と語った。一方の秦郁彦氏は、「慰安所の生活は、性奴隷といえるほど過酷なものではなかった」と話した。また、秦氏は、「慰安婦を性奴隷というのは、女性の自由意思を否定することで、女性への侮辱だ」と言った。

 女性が「慰安婦問題は日本の名誉の問題だ!」と日の丸を振る一方で、男性の歴史学者が「慰安婦が性奴隷だなんて女性への侮辱」と女性の意思を尊重するかのように語るなど、悪い夢をみているようだった。昔も今も置いていかれるのは、理不尽な暴力と重い沈黙を強いられてきた女たちだ。

 女の痛みは女だから分かる、というものではない。ただ、愛国にはまる女性たちの「慰安婦」の痛みに対する鈍さは、自分の痛みにも鈍くなっている故のように思う。鈍くなること、感じなくなることで、より生きやすくなる社会や時代になっているのだろうか。そんなことを言うと、「彼女たちの自由意思を尊重していない!」「愛国女性に対する侮辱だ!」と、秦先生にお叱りを受けてしまうのかもしれないけど。

週刊朝日 2015年7月31日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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