ごく普通のサラリーマン家庭で育ち、それぞれ結婚して離れて暮らしていた3姉妹の仲がこじれたのは、2000年に父親が、01年に母親が相次いで亡くなってからだった。

 東京の郊外にある木造平屋建ての実家は、父親が亡くなる10年前、長女一家と暮らすために、二世帯住宅に建て直されていた。家を建て直すとき、長女(70)は、次女(68)と三女(66)に相談している。

「二世帯住宅にして、お父さんとお母さんと一緒に暮らそうと思うんだけど」

 専業主婦だった長女と、すでに85歳だった父親はローンが組めず、長女の会社員の夫(71)が単独で支払う計画も伝えた。当時、次女と三女は何の異論もなく、「親のそばにいてくれるなら安心だ。介護もしてくれるだろう」と了解したという。建て替えはスムーズに進み、父名義の土地に、長女の夫名義の家が建った。

 長女夫妻の子どもも一緒に、賑やかな日々が過ぎた。だが、ある日、父親が急に倒れ、そのまま亡くなった。遺言書はなかった。1年後、母親も亡くなり、突如、遺産の話が持ち上がった。すると次女と三女は、

「遺言書もないんだから、土地は3等分してもらいたい」

 と主張し始めた。二世帯住宅を建てることに賛成はしたが、それはあくまで「家を建て替えて親と同居することの了解であって、相続の権利放棄ではなかった」というのだ。

 二人そろって、

「お義兄さんはお父さんに地代を払ってない。結局、土地をタダで使ったんだ。介護もほとんど必要なかったし、姉妹平等が基本だ」

 と譲らない。しまいには、「お姉ちゃんだけずるい」と責められた。長女は言う。

「同居しているからこその苦労があった。病院への送り迎え、入浴の世話、食事まで、それはそれは大変だった。どうして理解しようとせず権利ばかり主張するのか。ただただ、傷ついた。しかも、実際に家を建てたのは私の夫。この家は私たち家族のものだと思う」

 売り言葉に買い言葉。言い争うばかりで一向に折り合う気配がなく、結局、家庭裁判所に遺産分割協議の調停を申し立てた。それから10年以上たったが、決着はついていない。

 12年度の司法統計年報によると、家庭裁判所への相続関係の相談件数は17万4494件と10年間で倍増した。遺産トラブルに詳しい中村久瑠美弁護士は、「遺言書があれば、あそこまでもめずにすんだでしょう」と前置きして、

「血を分けたかけがえのない姉妹が、いざトラブルになると他人以上に傷つけ合ってしまう。相続が『争族』になる。10年戦争は当たり前。決着がついても、心の傷が癒えるのに、さらに時間がかかります」

 と話し、さらに社会情勢の変化も指摘する。

「高齢化が進み、遺産相続に直面する年齢が高くなり、60~70歳代できょうだいげんかが始まるケースが増えている」

 高齢きょうだいのトラブルがこじれるのは、終戦後、日本で長らく続いてきた家督相続制度が崩れたことが背景にある。旧民法では「戸主の財産や地位は、一番上の子どもがすべて受け継ぎ、二番目以降の子どもは、家を出て働く」旨が記されていたが、戦後改正され、制度そのものがなくなった。

「それでもしばらくは、年長者を敬うという感覚が根強くありました。しかし高度成長、バブル景気を機にきょうだいは『対等な関係でいいのだ』という意識が一気に広がったと感じます」(中村弁護士)

 進学先、職業、収入、親の介護問題……。生まれた順番がどうであれ、対等に自由な選択ができる時代になった。そして、対等になったきょうだい関係を享受してきた最初の世代が今、遺産相続に直面するようになっているというのだ。

 きょうだいでも、とくに難しいのは姉妹だ。結婚するか否か、出産するか否かはもちろん、配偶者の職業や年収によって生活スタイルが変化しやすく、価値観に違いが生まれやすい。子どもの進学や親の介護、相続など、姉妹の間には、もめ事のタネが尽きない。

週刊朝日  2014年12月12日号より抜粋