『昭和天皇実録』から読み解く 7月には伝わっていた天皇の終戦意図 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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『昭和天皇実録』から読み解く 7月には伝わっていた天皇の終戦意図

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週刊朝日#皇室

 宮内庁が24年余りかけて編纂した『昭和天皇実録』。歴史学者の加藤陽子東京大学大学院教授(53)は、戦前の軍部との関係に注目した。戦争回避や和平を気にかける姿がさまざまな場面で記述されていた。沖縄戦が終了したとの報告を受けたその夜、昭和天皇が1時間にわたって蛍を眺めたことの意味を考えたいという。

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 昭和天皇実録では、昭和天皇が戦争回避や和平を気にかけていることが繰り返し出てきます。

 1940(昭和15)年8月5日、葉山で静養中の昭和天皇は、蓮沼蕃(しげる)侍従武官長を葉山から東京へ向かわせる。重慶国民政府を率いていた蒋介石との和平工作「桐工作」の最新情報を求めるためです。

 国民政府は当時、欧米各国から物資の援助を受ける「援蒋ルート」が断たれつつあり、財政的に苦しんでいた。米国で公開されている蒋介石日記によれば、蒋介石はこの時期、最も講和に前向きになっていました。

 8月22日には、土橋勇逸・参謀本部第二部長や鈴木卓爾台湾・香港駐在武官から桐工作の進捗(しんちょく)状況を聞いた蓮沼に報告させている。9月に日独伊三国軍事同盟が結ばれる直前、日本が国民政府との和平を試み、そこに昭和天皇も強い関心を寄せていたことがわかります。

 これに先立つ同年5月28日に天皇は、揚子江開放問題について百武三郎侍従長と談じ、海軍と大蔵省の態度に注目しています。37(昭和12)年に日本軍が揚子江を封鎖したことに対し、米国などが開放を要求していた問題です。陸軍や興亜院は、対米関係改善に役立つので開放を是認していたのに、穏健に見える海軍や大蔵省が実のところ反対だったために実現されなかったことが、現在ではわかっています。天皇がこの点を理解して動いているのが、興味深いと思いました。

 開放問題は、翌年の日米交渉のときにも懸案となり、米国側は日米交渉に対する日本の本気度を測るため、まずは開放して日本の誠意を見せろと要求します。桐工作も開放問題も、中国と米国に対する勘所となる問題で、そこに天皇が働きかけている。

 41(昭和16)年の太平洋戦争開戦前には、弟の高松宮の扱いについて気になる記述がありました。実録では8月5日、高松宮が昭和天皇に対し「ジリ貧になるため、速やかに断乎たる処置を取るべき」と発言したと記され、高松宮が対米開戦積極派だったかのように映ります。しかし高松宮本人は、第1次大戦当時のドイツ艦隊の意味を論じたつもりだった。「高松宮日記」の8月24日の項を読むと「お上(天皇)がスゴク御心配」していると伝えられ「どうも全然思ひ当る節もない」と戸惑っていることがわかります。

 当時、兄弟の言葉に行き違いや齟齬があったことが、高松宮日記によって推測されます。しかし、実録はその齟齬に立ち入らないまま、昭和天皇の視点から書いているのではないか。

 実録によると昭和天皇は幼少期、いつも弟の秩父宮、高松宮とともに学び、ともに遊んでいたことがわかる。後に長じてからは兄弟間に確執があったとも言われ、最後の元老の西園寺公望などは、兄弟間の争いを実際に警戒していました。しかし、幼少期の密接な生活ぶりを考慮すれば、この3人の間の信頼関係は揺るがなかったのではないかと感じました。だからこそ実録は、高松宮日記をもうちょっと正確に使ってほしかったと思います。

 これまでに出た本の内容の補正をめざしたと思われる記述もありました。


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