サントリーホールディングス折井雅子執行役員(53)1960年10月10日生まれ。83年東京大学文学部卒業。同年、サントリー入社。食品事業部課長、お客様コミュニケーション部マーケティングサポートセンター長などを経て、2012年4月、サントリーホールディングス執行役員、13年4月、コーポレートコミュニケーション本部副本部長に就任(撮影/写真部・植田真紗美)
サントリーホールディングス
折井雅子執行役員(53)

1960年10月10日生まれ。83年東京大学文学部卒業。同年、サントリー入社。食品事業部課長、お客様コミュニケーション部マーケティングサポートセンター長などを経て、2012年4月、サントリーホールディングス執行役員、13年4月、コーポレートコミュニケーション本部副本部長に就任(撮影/写真部・植田真紗美)
週刊朝日・長友佐和子編集長(撮影/写真部・植田真紗美)
週刊朝日・長友佐和子編集長(撮影/写真部・植田真紗美)
折井雅子さん(左)と長友佐和子編集長(撮影/写真部・植田真紗美)
折井雅子さん(左)と長友佐和子編集長(撮影/写真部・植田真紗美)

 週刊朝日の長友佐波子編集長が、フロントランナーの女性にインタビューする企画。第3弾の今回は、サントリーホールディングスの折井雅子執行役員(53)に話を聞きました。

*  *  *

長友:入社が83年ということは均等法の前。女子で四大卒だと、ほとんど募集がない時代ですよね。

折井:私は大学で社会心理学をやっていたんですが、世の中の人が何に関心を持つのか興味を惹かれて、マーケティングという仕事に憧れを持ちました。それができる仕事を、それも自分が興味あるお酒の会社でやりたいと思って探しましたが、本当に少なかったです。でも幸いにもサントリーに就職できて。

長友:同期は何人くらいいらっしゃいました?

折井:全国合わせると240人いて、女性は大卒と短大卒などで150人いたかな。

長友:全国というと、事業所ごとの採用ですか?

折井:そうです。当時はまだ女性は自宅通勤が採用条件でした。最初はマーケティング室に配属されました。

長友:え、希望どおりに?

折井:はい。といっても、当時、女性の仕事は基本的に庶務とアシスタント。マーケティング室の中にはビール、ウイスキー、ソフトドリンクなど複数のグループがあって、それぞれの庶務をやるために配属された感じでした。女性の新入社員は朝早く出社してお湯を沸かすことから始まるんですよ。みんなにお茶をいれて、昼間はコピー取りやホチキス留め、あとは商品サンプルをプチプチで梱包して発送……本当に1年はずっとそんな日々でしたね。

長友:腐りませんでした?

折井:高校も男女同数の共学で、大学も男女半々という非常に珍しい学科でした。男女差別なんて本当に意識しないできたんですね。

長友:東大で男女半々なんて相当珍しいですね。社会に出てからビックリされた。

折井:ええ、本当に男と女に差があるんだ!と思って。でもあるとき隣の課の課長が「人間も飛行機も滑走期間が長いほど高く遠くへ飛べるから、今その滑走期間だと思って取り組みなさい」って声をかけてくれたんです。そう思うと、先輩の文書を見て先輩の仕事を手伝いながら、学べることはあるんですよ。

長友:稟議書はこうやって書くんだ、とか。

折井:無理をお願いするにはこういう言い回しをすればいいんだとか(笑)。その気になって取り組めば得るものは必ずあるし、次へのステップにもなるなと。

長友:目の前の仕事をやり遂げていくうちに次のステップが来たんですね。

折井:でも30歳前後くらいにグレかけたこともありました。一通り商品のブランディングや開発をやるようになったころなんですけど、一つひとつの仕事は評価されても、実際の昇格になるとなかなか評価されにくかった時代でしたから。

長友:そうなんですか?

折井:女性の社会進出は、ガラスの天井があると言いますけど、鉄格子の天井がある感じがありました。

長友:「もうこんな会社やめてやる!」みたいな?

折井:「会社が認めてくれないならいい! 自分が納得する仕事をする!」というグレ方でした。

長友:自分が納得さえすれば、評価は関係ないと?

折井:うまく切り替えました。イソップの「すっぱいぶどう」みたいに、手に入らないものは価値がないと思うことで防衛したのかもしれません。でも仕事って、それ自体が自己実現になるときもありますが、そういうときばかりじゃない。趣味を楽しむために仕事を頑張るという時期があってもいいと思うんです。

週刊朝日  2014年5月30日号より抜粋