細川、小泉両家は先祖の代に知られざる“奇縁”があった。

 そう語るのは、政治経済評論家の徳川家広氏(48)だ。徳川宗家の19代目にあたる。自身、母方の祖母が細川氏の父・護貞の妹で、細川氏の親戚でもある。

「小泉さんの父・純也は、政界入りした際に大麻(おおあさ)唯男という内務官僚出の大物政治家の子分になりました」

 小泉純也は、逓信(ていしん)大臣などを歴任した小泉又次郎の一人娘・芳江さんと駆け落ち同然で結婚し、後に又次郎に許されて、その婿養子となった。1937年、衆院議員に初当選。戦後は、大麻らが立ち上げた改進党から衆院選に再び当選した。

 本出身で「政界の寝業師」と呼ばれた大麻は、戦時中には東条英機内閣で国務相を務めた。戦後は改進党や日本民主党結成に加わり、国務相になっている。

 24年、内務省に勤めていた大麻は、首相に就任した清浦奎吾の秘書官に抜擢され、同年の衆院選挙で当選して政治の道に入っている。この同郷の大先輩でもある清浦の知遇を得たきっかけが細川家にあるという。

「細川さんの祖父・細川護立侯爵が屋敷で開いた宴会で、末席の大麻がうまいスピーチをした。同席していた清浦子爵が気に入り、自分の屋敷へ遊びに来るよう声をかけたのです。つまり、大麻の政治への入り口が細川家にあったわけです。護立侯爵の宴会がなければ、大麻も、その弟子である小泉純也も、ずいぶんと違う人生になっていたでしょう」

 細川氏と小泉氏、2人の運命は、すでに大正時代に交錯していたのだ。

「小泉さんが細川さんを応援するのは、恩返しという意味もあるのかもしれません」

週刊朝日 2014年2月7日号