東海大学副学長、ロス五輪金メダリスト山下泰裕(やました・やすひろ)1957年、熊本県生まれ。84年ロス五輪柔道無差別級優勝。国民栄誉賞受賞。引退後、柔道指導者の道へ。五輪日本代表監督を歴任(撮影/写真部・岡田晃奈)
東海大学副学長、ロス五輪金メダリスト
山下泰裕(やました・やすひろ)

1957年、熊本県生まれ。84年ロス五輪柔道無差別級優勝。国民栄誉賞受賞。引退後、柔道指導者の道へ。五輪日本代表監督を歴任(撮影/写真部・岡田晃奈)

 京セラ創業者で倒産した日本航空(JAL)をわずか2年半で再上場させた、“経営の神様”稲盛和夫氏(81)。本誌(8月19日発売号)で「これが私の生きてきた道」の連載を始める稲盛氏だが、その教えは経営のみならず、日本柔道界にも影響を与えているようだ。稲盛氏が塾長を務める「盛和塾」の門下生で東海大学副学長、ロス五輪金メダリストの山下泰裕氏(56)はリーダーのあり方を稲盛哲学に学び、全日本柔道連盟を再生したいと話す。

*  *  *

 稲盛塾長から学んだのは、一個の人間としての生き方であり、リーダーとしてのあり方です。稲盛塾長のいる「経営」の世界と私のいる「教育」の世界は違いますが、そこの部分は共通しています。稲盛塾長のおっしゃる非常にコアな部分に惹かれました。

 稲盛哲学に出合い、感銘を受けたのは40歳くらいのころ、東海大学柔道部の監督をしていたときです。「自分の言動が少なからず年若い選手たちに大きな影響を与えるのだから、これからは人間の生き方、あり方について、もっと真剣に勉強しなければ」と思い、数々の本を読み始めたところでした。きっかけは、知り合いの経営者から頂いた稲盛塾長の講話テープです。

 テープを聞いてすぐに、グググーッと引きつけられて……。「すごい人がいるなぁ。とてもこの人のまねはできないけれど、万分の1でも近づきたいな」と、会ったこともない稲盛塾長に対してそんな思いを抱きました。

 それからは稲盛塾長の本を夢中になって読んだり、講話テープも何十回、何百回と聞きました。そのせいか、夢に稲盛塾長が出てきたくらいです(笑い)。盛和塾のメンバーになって初めてお会いしたときも、初対面の気がしませんでした。柔道を指導する際に何を学んだかと問われると、具体的に「これです」と示せるものはありませんが、生き方に非常に大きな影響を及ぼしました。

 2006年、私はNPO法人柔道教育ソリダリティーを立ち上げました。柔道を通して国際交流を図り、「柔の心」「和の心」を世界の国々に伝えたい、青少年育成を図っていきたいと思ったからです。

 立ち上げるとき、すぐに脳裏に浮かんだ言葉が、「動機善なりや、私心なかりしか」です。稲盛塾長のKDDIのときと、全然スケールは違いますが(笑い)。本当に動機は善なのか、私心はないのか。最後までやりぬく覚悟はあるのかと。そのことを何回も何回も振り返りましたよ。

 リーダーには、人間としての魅力、人間力が必要だということも教わりました。人の心に火を灯せる人でなければいけない、とも。組織は、トップ次第です。トップがその気になれば、大抵のことはできる。稲盛塾長のJAL再生をみても、一人のトップ次第ということの証し。再生不可能とみんなが思っていたはずです。人の意識を変えるというのは本当に難しい。なのにJALは変わりました。

 私は最近、日本の柔道界の暴力根絶を目指して、全日本柔道連盟の「暴力の根絶」プロジェクトにおけるリーダーになりました。どのように変えていきたいかについては、ここでは細かいことは申しません。ただ、柔道をやっている少年少女、あるいは指導者が、どこに行っても胸をはって「私は柔道をやっています」と言えるようにしていきたい。柔道界は、柔道の創始者・嘉納治五郎(かのうじごろう)師範がめざした「人づくり、人間教育の柔道」の原点に立ち返るべきだと思っています。私は歴史上の人物で一番尊敬しているのが、西郷隆盛です。稲盛塾長の故郷・薩摩(鹿児島)出身の偉人です。研究室には西郷隆盛が好んだ言葉で、稲盛塾長の座右の銘である「敬天愛人」を掲げています。

週刊朝日  2013年8月16・23日号