反戦や反原発を訴え、今も受け継がれるマンガ『はだしのゲン』。それは作者が伝えたかった全てを詰め込んだ“遺書”だったという。
広島に落とされた原子爆弾で被爆した少年、中岡元=ゲンが、『はだしのゲン』の主人公だ。広島に住むゲンの家族は父親が戦争に反対するため非国民と呼ばれ、迫害されながら、力を合わせて生きている。昭和20年8月6日、広島に原爆が落ちる。ゲンは偶然助かったが、父と姉、弟を失う。何もかも破壊された地で、ゲンは家族や仲間と力を合わせ、貧困に耐え、被爆者差別や圧政と闘いながら明るく生きていく。
この漫画は、作者の中沢啓治さんの自伝的作品だ。中沢さんは実際に広島で被爆し、家族や家を失った。家族構成も被爆の状況も、ゲンは中沢さんを投影する。『はだしのゲン』には、皮膚がずり落ち、目玉や内臓が飛び出し、ウジがわくなど凄惨な被爆者の描写があるが、中沢さんは実体験から、〈かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにしてかきました〉という。(引用は中沢さんの自伝『はだしのゲン わたしの遺書』朝日学生新聞社から)
漫画家になった当初は原爆を題材にしなかった。〈漫画というものは楽しいもの〉という考えからだった。だが、被爆から21年後に母親が亡くなり、火葬の際に遺骨がなかったため、〈原爆というやつは、大事な大事なおふくろの骨の髄まで奪っていきやがるのか〉と怒り、原爆を描き始めた。
週刊少年ジャンプで「はだしのゲン」の連載が始まったのは、1973年。翌年連載は中断し、石油危機の影響や出版社の意向でそのまま終了しかけたが、汐文社で単行本化し、朝日新聞が報じたこともあって生き返る。75年に「市民」誌で連載が再開し、その後、「文化評論」「教育評論」と漫画誌ではない媒体で連載が続いた。85年にゲンが画家を志し、東京に向かうところで連載は終わっている。
単行本はベストセラーとなり、アニメ化、映画化され、約20カ国語に翻訳もされた。平和教育の副読本などにも使われている。
中沢さんは、続編を考えていた。ゲンは東京で東京大空襲の孤児たちと仲間になり、絵画修業で訪れたフランスで原発問題に取り組むという構想だったが、中沢さんの目が白内障でよく見えなくなり、〈執筆を断念せざるをえませんでした〉。
その後、中沢さんは肺がんに侵され、昨年12月73歳で亡くなった。自伝には、〈『はだしのゲン』は、わたしの遺書です。わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました〉とある。
※週刊朝日 2013年8月9日号