数学の絵馬。文字通り、数式や図形の問題がびっしりと書きこまれた絵馬である。そんな不思議な絵馬が、かつて日本中でお寺や神社に奉納されていた。

 それは、問題が解けたことを神に感謝するためのものであったとも、自分が解けた問題やひねり出した問題を周囲に自慢するための手段であったとも言われている。ツイッターやブログのない時代、近所に絵馬として掲げてしまうのが、手っ取り早い宣伝の方法だったのだろう。

 そんな「算額」が、いま知られているだけでも全国に900あまり残されている。中でも特に美しいと言われる福井県鯖江市の算額を訪ねてみた。

 長閑(のどか)な田園風景に囲まれた無住の神社で、静かに歳月を重ねてきた算額。それは想像以上に色鮮やかで、「美」と「楽」と「理」との見事な調和があった。それを手に取り、じっと中を覗き込むうちに、かつて数学に夢中になり、その虜(とりこ)となった人たちの興奮と息遣いとが、こちらにまで響いてくるような錯覚に陥った。

 この神社を通りがかった人は、和算家でなくても、この算額に目を奪われただろう。その式の意味するところが分からなくても、数学に「美」と「楽」のあることを、何かしら感じ取ったに違いない。

 現代数学のほぼ唯一の表現手段である論文には、残念ながらこのような種類の感染力はない。通りがかりの人を思わず立ち止まらせてしまう伝染力がない。しかし数学に「美」と「楽」を求め、それに夢中になる人間の心はいまもむかしも変わらない。

 高度に専門分化が進み、あまりにも難解になってしまった現代数学の渦中にあっては、この数学の「美」と「楽」ということが、ともすると論理の彼方に霞んで、見失われがちである。

 しかし、この「美」と「楽」の喜びにこそ、数学の本体があるのである。算額という媒介(メディア)が、いまもしかと、そのことを僕らに伝えてくれている。

週刊朝日 2013年7月12日号