宮城県仙台市の天文台に勤めている小石川正弘さんは、仙台市愛子(あやし)にある、曹洞宗の寺に生まれた。実は実家の寺との歴史的背景から、伊達政宗を憎んでいたこともあるという小石川さん。しかし詳しい歴史を知るうち、発見した惑星に伊達政宗と名付けるまでになったという。小石川さんに話を聞いた。

「最初に小惑星を見つけたのは、35歳過ぎで、地元の名から愛子(あやし)と命名しました。私は65の小惑星を発見しましたが、命名権を得るには2夜連続して観測しなければならないなど厳密な規定があり、実際に名付けたのは19個です。

 1991年の2月13日は、私にとって本当に記念すべき日でした。

 快晴続きで同じ日に奇跡的に二つの小惑星を見つけました。どちらも直径15キロメートル前後。太陽の周りを一周するのに2.5年ほどかかります。仙台ですから、一つは伊達政宗、もう一つは支倉(はせくら)の名前をとって常長と付けました。夢を持っていた歴史上の2人ですから」

 小石川さんの実家・安養寺は、平安時代に藤原秀衡(ひでひら)の娘を祀(まつ)った寺だったという。もとは宮城野区小田原にあったが、政宗時代に伊達家の家臣が寺の敷地で鷹狩りをやり、当時の住職と対立。逆に夜討ちをかけられて逃げついた場所が愛子だったそうだ。

「伊達家に対する憎しみもありましたが、政宗が慶長三陸地震の後に天文学に力を入れたと聞きました。伊達家3代目が、いまの青葉区木町地内に天文台をつくった話を聞いて、偉大さを改めて知りました。94年に小惑星を見つけた時には知人から『伊達政宗だけだとかわいそうだから、正室の愛(めご)姫の名前を付けろよ』と言われ、愛(めご)と付けたのです。政宗と愛は、五郎八(いろは)姫など4人の子どもを授かりましたが、夫婦仲はよくなかったともいわれます。小惑星・伊達政宗の軌道傾斜は23度。愛の傾斜とスピードを計算すると、何百年も近づくことはありません」

週刊朝日 2013年4月19日号