今年7月末、「最後」の水俣病救済策の申請が締め切られた。1956年に公式確認されてから56年。症状があっても、患者と認められて補償金などを受けるには高い壁がある。
 1977年に旧環境庁が水俣病の認定基準を厳格化し、症状が二つ以上ある人しか患者とは認められなくなった。この基準はかなり厳しく、例えば、本県に認定申請をしたのはこの8年間で5千人以上いるが、認定されたのは7人だけだ。
 未認定の人たちは裁判で闘うしかなく、訴訟が相次いだ。95年、長く続く裁判闘争を終わらせるために、国は約1万1千人の被害者に一時金を支払うなどした。しかし、患者とは認めていない。今年の7月末で締め切られた「救済策」も同じ。210万円の一時金を給付されても、あくまで「未認定の被害者」のままだ。
 国は水俣病問題に幕を下ろそうとしている。2009年に成立した水俣病被害者救済法で新規認定を終わらせることを記し、チッソを補償会社と事業会社に分社化した。しかし、簡単にはいかないと熊本学園大学水俣学研究センターの花田昌宣(まさのり)センター長はみる。
「そもそも、国が被害状況の調査をしてこなかったことがすべての原因でもあるのです。潜在的被害者は、まだ10万人以上いるでしょう。水俣病の56年をみると、このまま終わるとはとても思えない」
 今年2月には、国の認定基準を否定する福岡高裁の判決も出ている。国が対応を誤った未曽有の公害の「最終解決」は、まだ見えていない。

※週刊朝日 2012年9月28日号