1968年のメキシコ・オリンピックの得点王で、サッカー銅メダル獲得の立役者となった釜本邦茂さん(68)。帰国後、所属していた弱小チームのヤンマーを天皇杯初優勝へと導き、チームのために多大な貢献をした。
 しかし、釜本さんはワールドカップに出場することも、ヨーロッパのチームに移籍することもなく、選手生活を終えた。海外チームからのオファーもあったが、肝炎にかかるなど不運が重なった。そのことを氏はこう話す。

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 ぼくね、20代後半からの数年問、ヤンマーでやったサッカーがいちばん面白かったんですよ。うまい選手がそろっていて、パスを回し始めたら、どこのチームもポールに触ることができなかった。それは痛快でしたよ。ぼくが入った後、ヤンマーはリーグで4回、天皇杯は3回優勝した。すべてが自分の力とは思わないですが、入社当初と比べて、ヤンマーを強くするという一つの夢は実現できたかな、と思ってるんです。
 やっぱり、あのとき海外のチームに行っていれば、なんていうふうには思わないね。それを言ったら元も子もないでしょ。たとえば当時、日本にプロリーグがあったらどうやったとか、そんな仮定の話したって仕方ないですしね。自分の歩んできた歴史、生きてきた時代に満足する、それでええんちがいますか。海外移籍した後輩の試合を観戦しながら、「俺ならここで決めとるぞ!」って心の中では思ってるけどね(笑)。

※週刊朝日 2012年5月25日号