むしゃむしゃむしゃ。蚕が桑の葉を食べる音。昭和50年代、上田紬(うえだつむぎ)の最盛期に長野・上田に響き渡った懐かしい音。当時は、着物ブームで上田でも養蚕が盛んな時代で、質の良い紬が手に入ることで有名だった上田は非常に栄えたといいます。和のコンシェルジュ・矢島里佳さんが、上田紬について紹介します。

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 蚕は家畜として扱われており、蚕の数え方は一匹ではなく一頭。人類が最も研究した家畜とも言われているそうです。養蚕の最盛期に上田に生まれたのが小岩井良馬さん(36)です。

 さわやかな笑顔が素敵な良馬さんが小学生の頃、上田紬を生産する会社は30~40社あり、活気づいていたそうです。幼い頃から実家で機織り遊びをして、日常的に紬に触れて育った良馬さんですが、特に家業を継ごうという思いはなく、大学も経済学部を卒業。まったく上田紬とは関係のない世界で生きていました。

「海外志向が強くて、大学卒業後しばらくして、永住するつもりで単身ドイツへ渡航し、3年間ほど働いていました。海外に住んでから日本を客観的に見るようになりました。自然と自分のアイデンティティーを考えるようになり、戻る決心をしました」(良馬さん)

 日本の伝統に関係する仕事に就こうと思った良馬さん。実家が日本の伝統そのものだったことに気づき、そのままお父さんに弟子入りしました。

「もうこの頃には、上田紬を生産する会社は6社にまで減り、中国産の糸での生産になっていました。父も私が継がないのなら廃業しようと思っていたそうです。いざ働いてみると、幼少期は身体を使う仕事だと思っていたのに、実は数学的要素が強く、頭も身体も使うやりがいのある面白い仕事でした」(良馬さん)

 自分の意思で糸を染め、機織りができるようになると、コンセプトのあるものづくりを追求するようになったそうです。

「先輩方は経験や技術は素晴らしいけれど、柄に対してこだわりをもっているかというと、皆がみんなそうではないということを感じました、問屋さんから指定された柄を作っていた時代を考えると、仕方がないのかもしれません。けれども、今の消費者がまず目にとめるのは柄。だからこそ、すべてに意味のある柄を作りたいのです」(良馬さん)

 現在、再び国産蚕の復活を試みているということで、良馬さんの新たな挑戦から目が離せません。

※週刊朝日 2012年2月24日号