3月24日は集団就職列車の最終運行日!日本を支えた若者から学ぶこと 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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3月24日は集団就職列車の最終運行日!日本を支えた若者から学ぶこと

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写真はイメージです

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多くの若者が夢や希望を持って都市へと向かいました

多くの若者が夢や希望を持って都市へと向かいました

高度経済成長期は仕事環境が厳しく離職率が高いという事実

高度経済成長期は仕事環境が厳しく離職率が高いという事実

誰かが何とかしてくれるのを待つのではなく自分で顔を上げよう

誰かが何とかしてくれるのを待つのではなく自分で顔を上げよう

1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着しました。これが最後の集団就職列車となり、日本の高度経済成長も終わりを迎えることになります。その時代に日本経済を支えた人たちの多くがすでに現役を引退し、高度経済成長そのものが忘れられつつあります。

日本はいまコロナ禍にあり、先の見えない閉塞感に包まれているような状況。この状況を打破するには、あの時代を人生の先輩たちがどう生きたか、学ぶことも必要なのかもしれません。そこで、今回は集団就職をした若者たちにスポットライトを当ててお話したいと思います。


夢と希望を抱いた集団就職者

集団就職についてはいくつもの論文が発表されていますが、そこで共通して語られているのは「明確な定義がない」ということです。高度経済成長とセットで語られることはあっても、どのような就職形態を「集団就職」とするのかは定まっていません。

ただ、高度経済成長期に地方から東京・名古屋・大阪といった都市部に、若い労働力が流入するための仕組みがあり、地域によっては中卒者や高卒者の半数以上が県外就職をしていました。都市部に移動するための列車が集団就職列車と呼ばれ、春先のこの時期に地方の駅では多くの若者が親との別れを惜しんでいました。

金の卵として高度経済成長を支えた地方出身の集団就職者ですが、その多くが都市の中小企業に就職します。大手企業に就職できる人もいましたが、大手企業には都市部で育った若者が就職するのが一般的で、結果的に人手不足になった中小企業が雇うことになるわけです。

高度経済成長を支えたのは中小企業ですので、そこで働く地方出身の若者たちが支えていたと言っても過言ではありません。厳しい労働環境下でも黙々と働き、親に少しでも楽してもらうために、自分の小遣いはほどほどにして仕送りをする若者も少なくありませんでした。

それでも苦しい中にも希望があり、いずれは都会で独立したり、安定した給料を稼いだりできる未来を夢見て働いていたわけです。行き詰まっている現代の私たちが、そんな集団就職者から学ぶべきことが、きっとたくさんあるはずです。

【参考】

集団就職者の高度経済成長


意外と高い高度経済成長期の離職率

集団就職をする場合、学校側で適性を判断して就職先を決めることが多く、ほとんどの人は自分が希望する仕事には就けません。そもそも自分が希望する仕事に就いたり、自分の好きな人と結婚したりするのが普通ではなかった時代です。

今のようにインターネットがあるわけではなく、都会にどのような仕事があるのかも分からないわけですので、特定の職種を希望する人も少なかったのでしょう。職場では先輩から厳しい指導を受け、仕事が終わっても2段ベッドの1段分しかパーソナルスペースはありません。かなり息苦しかったことは容易に想像がつきます。

今のようにパワハラやセクハラが社会問題になるような時代でもありませんでした。そんな状況でも粘り強く働いていた人もいますが、高度経済成長である1960年代は離職率が20%以上(平成30年は14.6%)もあり、環境に馴染めずに辞めていく人が大勢いました。

高度経済成長=終身雇用というイメージがあるかもしれませんが、離職率が下がるのは集団就職列車の最終運行が行われた1975年頃からです。夢や希望を持っていた集団就職者も、必ずしもすべての人が幸せになれたわけではなく、夢やぶれて故郷へと帰る人も多かったはずです。

中小企業から転職しても、転職先も中小企業で状況は改善しない。それでも努力は必ず報われると信じ、頼れる人もいない東京で踏ん張っていたわけです。当時を「いい時代だった」とする人もいますが、地方出身者にとっては苦しい側面もあったということを知っておきたいものです。

雇用管理の動向|厚生労働省

平成 30 年雇用動向調査結果の概況|厚生労働省


明るさのあった高度経済成長期から学ぶこと

厳しい環境にあった集団就職者ですが、悪いことばかりではありません。1960年の中卒労働者の初任給は5,900円だったのが、10年後には23,800円に上がっています。もちろん給料もそれだけ増えていきます。働けば働くほど環境はよくなっていきました。

それに合わせて1964年には世界的なスポーツイベントが東京で開催され、世の中には明るさが満ちていました。同じスポーツイベントが予定されている現代は、コロナ禍というのもあって、まるで厚い雲に覆われているように暗い状況にあります。

この状況について世の中が悪いとするのは簡単ですが、私たちは少し世の中に頼りすぎているのかもしれません。苦しい状況を誰かが改善してくれるのを待ってしまう。そうではなく、1人ずつが顔を上げて今できるベストを尽くす。そんな姿勢も必要なのかもしれません。

上野駅に昭和の歌謡曲「あゝ上野駅」の歌碑があります。集団就職をしてきた地方出身の若者の心を支えた名曲ですが、この歌詞からは先人たちがどのような想いを抱いて東京で働いてきたのかが伝わってきます。ぜひ1度、音楽配信サービスなどで聞いてみてください。

もし両親が集団就職経験者だったら、当時の話を聞いてみてください。きっと感じることがあり、こんな状況だからこそ元気を出そうという気持ちが湧いてくるはずです。


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