6月15日は「千葉県民の日」。県内の公立の小中学校はお休み。当日や当月、県内各地の施設が無料や割引になったりと盛り上がります。かつてはディズニーランドも県民の日にあわせて県民限定割引を行なっていたため(現在は関東近郊に拡大しています)、こと「都道府県民の日」に限っては「千葉県民の日」はなかなか有名かも。千葉県民の日がなぜ6月15日なのか、他都道府県民の日はどうなのか、調べてみました。

県内の棚田も美しい季節を迎えます
県内の棚田も美しい季節を迎えます

その始まりは平安時代・日本屈指の古族「千葉氏」とは

「都道府県民の日」は、都道府県の成立記念日として自治体ごとに設定された記念日。47都道府県のうち、現在記念日を設定しているのは21都県。地域により呼び名は変わり、福井県の「ふるさとの日」、和歌山県の「ふるさと誕生日」、神奈川県の「立庁記念日」などという呼称も。多くの場合は明治時代、江戸の藩政から廃藩置県により全国で統廃合が繰り返され、現在の47都道府県名に定まった日を「県民の日」と定めていますが、沖縄県は1972年5月15日、アメリカ軍政下から日本本土に返還された日を「本土復帰記念日」、めずらしいケースとしては長野県は長野オリンピックの開会式が行われた2月7日を「長野の日」としています。
千葉県は、1873年、印旛県と木更津県が合併し、「千葉県」となった6月15日を「県民の日」と定めています(後に新治県に管轄されていた香取・匝瑳・海上の3郡を編入、千葉県が管轄していた6郡・猿島、結城、岡田、豊田の4郡及び葛飾郡、相馬郡の一部を茨城県に、葛飾郡の一部を埼玉県に割譲して現在の形に)。
千葉県の名の由来となった「千葉」は、万葉集にすでに「知波乃奴(千葉の野)」と記され、奈良時代には地名として成立していたものと思われます。多くの葉が生い茂る土地、葛の葉が繁茂する土地、などの意味とされるほか、アイヌ語の「chipa」が語源とする説もあります。chipaとはアイヌの祭礼に使われる神官の幣(ぬさ、みてぐら)に似たイナウ(inaw)の古語で、千葉地方を指す別名の房総の「房(ふさ・総)」も、アイヌ語で「プサ」 pusaで、糸などを何本も束ねた房(総)の意味となる(ちなみに、神社の幣も現在は紙などで作られますが、かつては麻を束ねたもので、房の国の名も麻がよく育つことからきていることともつながります)ため、「千葉」と「房・総」、ともに古代からつづく地名だったのかもしれません。
丸木舟、貝塚などの出土は全国でもっとも多く、加曾利貝塚は世界最大級の貝塚で学史上の標式遺跡であることや、東日本ではもっとも多い古墳などから、先史時代から多くの人が住み着いていた土地でした。房総半島から筑波地方にかけては、「大菟上国(おおうなかみこく)」と呼ばれる広大な海洋王国があったとされる伝説もあります。
この地方に桓武天皇の孫に当たる平高望(たいらのたかもち/高望王(たかもちおう)が平安時代に上総介として下向し、子孫が上総、下総、常陸に、製鉄や軍馬育成を武器に豪族として広がった(桓武平氏)ことが千葉氏のはじまり。一族の諍いから、平将門による「天慶の乱」が勃発します。この平将門に同調したのが、千葉氏の祖となる平良文は(たいらのよしふみ)。将門に仇なす桓武平氏の頭領・常陸の平国香に対し、将門をかばい挙兵した良文が敵兵に囲まれて窮地に陥ったとき、 妙見菩薩が童子の姿をとり出現、良文を導き戦に勝利した、と伝えられています。 このため、子孫の千葉氏は古くより妙見(北辰)を信仰し、その居住地に必ず 妙見菩薩を勧請し、家紋も北斗・北辰を表す九曜月星になりました。

あの道場もあのお祭りもあの名産も・全国に散らばり活躍した「千葉」さん

千葉常胤(ちばつねたね)が当主の時代の平安末期、保元・平治の乱(ほうげん・へいじのらん)を経てやがて源平合戦の乱世に突入します。常胤は、戦いに敗れて房総に逃れた源頼朝を盛り立て挙兵、鎌倉幕府の開府に尽力します。この論功行賞として全国各地に所領を与えられて、千葉氏は房総の他全国に領地を得ます。
常胤には七人の男子があり、家督は嫡子の胤正が継ぎましたが、弟たちもそれぞれ所領を与えられ、「千葉六党」を形成して全国に散らばりました。
二男師常は下総相馬郡、陸奥国行方郡を与えられ、子孫はのちに相馬氏に。三男盛胤は下総国武石郡、奥州宇多・伊具・亘理三郡も領有し子孫は武石氏を称します。陸奥の盛胤流は後に亘理氏を称しました。四男胤信は香取郡大須賀を領して大須賀氏に。奥州にも分領を賜ります。五男胤通は葛飾郡国分郷を領し、子孫は国分氏となり守護代に。六男胤頼は下総国東部の東庄三十三郷を領し、東氏、海上氏を称し、また子孫はのちに美濃に移り美濃東氏として勢力を振るいました。
北条執権政権に移行後も一貫して有力御家人として、北条滅亡後の足利政権下では、関東八屋形(かんとうはちやかた)」として下総の名門大名の地位を維持しました。
豊臣秀吉に後北条が滅ぼされると大名としての千葉氏は途絶えますが、全国各地の千葉氏の子孫はその後も栄え、江戸時代には千葉氏相伝の剣法北辰夢想流が奥州の千葉一族だった千葉周作により手を加えられ、北辰一刀流として道場を構え、坂本竜馬も剣術を学んだといわれます。
また、千葉六党の相馬氏は流山で行われた千葉氏の軍馬教練を伝承、現在の「相馬野馬追い祭」として受け継がれています。岩手県の名産・南部鉄器は、製鉄と軍馬育成で勢力を広げた千葉氏が、奥州で製鉄を広めたことがその始まりと言われています。
貴方の知り合いにもきっといる千葉さん、原さん、葛西さん、白井さん、高城さん、相馬さん、東さんなどなど、どこかで千葉氏につながっている人たち。また、天之御中主神社、星宮神社、妙見神社などがもしご近所にあれば、そこにも妙見信仰をもちこんだ千葉一族がやってきたのかもしれません。

現在の千葉城
現在の千葉城

開府890年!首都圏の伝統都市・千葉市はもりあがるか?

今年2016年は、平良文の子孫の常重が大治元年(1126)現在の千葉市亥鼻城(千葉城)に入ったことから、千葉開府890年とされています。
県内の佐倉・銚子・佐原・成田の四都市も日本遺産に登録されました。千葉氏の滅亡後も江戸文化・東京文化と上総下総・千葉県の関連はとりわけ大きく、濃口醤油や白みりんなど、現代の「日本料理」の基礎となる調味料・味が生まれたのも千葉。鎌倉幕府にとっても江戸幕府にとっても頼みの綱であり台所であり軍事防衛ラインでもあったのが千葉というエリアです。
千葉市では「県民の日」に合わせて6月19日(日曜日)に幕張メッセで「県民の日ちばワクワクフェスタ2016」が開催されます。今年4月には千葉港に旅客船ターミナル等複合施設「ケーズハーバー」がオープン、千葉市動物園にはトウヤとアレンの二頭のライオンもお目見えしました。
そして8月には初の「千葉氏サミット」が行なわれます。http://chiba-summit.com/全国から岩手県一関市・宮城県遠田郡涌谷町・福島県相馬市・福島県南相馬市・岐阜県郡上市・佐賀県小城市、千葉県内から佐倉市、酒々井町、多古町、東庄町の千葉氏が参加し、千葉市で講演、トークセッション、千葉氏首長フォーラムなどが行なわれます。
戦隊ヒーローの舞台として使われたりと話題の亥鼻城の常設展示、開運のパワースポットとして名高い千葉神社とあわせて、関東の名族・千葉氏、そして千葉県の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。
さて、千葉県推しの記事を繰り広げてきましたが、都道府県民の日が設置されている21都県のうち、公立小中学校が休みになるのは、東京、千葉、埼玉、群馬、茨城、山梨の関東近圏六都県のみだそう。どうしてこのような地域差があるのかは不明ですが、戦後に大量に他地方から住民が流入した首都圏は、地域としての統一意識を保つ必要があった、ということなのかもしれません。「地域親子祭り」とか「ふるさと祭り」のようなものと同じかもしれませんね。運よく休日になる都県にお住まいの方もそれ以外の方も、お住まいの都県の歴史についてこの際調べてみると、面白い発見がきっとあるでしょう。

千葉市、幕張メッセ
千葉市、幕張メッセ