小惑星B612からやってきた「王子」は、家来にかしずかれているわけでもなく、むしろかしずくように花のお世話をしていました。サン=デグジュペリのロングベストセラー童話『星の王子さま』をご存じでしょうか。映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』が公開され、原作の世界を再現した繊細なストップモーション・アニメーションがいま話題に。何がそんなに魅力なの?と思う方も、この世界観は特別!とぞっこんの方も、星のかけらを集めるように物語のキラキラを見つけにでかけてみませんか。

滝川クリステルさんの声で 高飛車な日本語を・・・
滝川クリステルさんの声で 高飛車な日本語を・・・

ところで 原作はどんなストーリーだったかというと(ざっくりとどうぞ)

☆すでに詳しい方や「まずはネタバレなしで読んでみたい」という方は、スルーしてくださいね☆
砂漠に不時着した飛行士がいました。
こわれた飛行機を修理していると、小さな子供があらわれて「ヒツジを描いて」とねだります。この子供が「星の王子さま」。小惑星B612から旅に出て、いろんな星を巡った末に地球にたどり着いたというのです。少しずつ心を通わせるふたり。飛行士が聞いた王子の話は・・・
ふるさとの小さな星で王子がお世話していた、美しくわがままなバラ。ささいなことで言い争いになり、王子はひとり旅に出てしまいます。行く先々で出会った星の住人たちは「奇妙」な大人ばかり。王様・実業家・点灯夫・酒飲み・地理学者・・・。
やがてたどり着いた地球で過ごすうち、王子はキツネと出会います。
「かんじんなことは目にはみえない。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない」キツネに教えられ、王子は星に残してきたわがままなバラが、自分にとって何よりも大切な唯一の花であることに気づくのです。お世話をすることは、相手に責任を持つこと。王子は、あの小さな星の一輪のバラのもとへ帰る決心をします。
持っていた水がなくなり、ふたりは井戸を探します。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから・・・それを美しく輝かせているものは、目に見えないんだ」。
飛行機がまた飛べるようになった頃。王子は星に帰るため金色の毒ヘビにかまれ、自分の体を捨てて、静かに消えていました。

映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』公開中! 舞台裏がわかる展覧会も

公開中の映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』の舞台は、原作の「その後」。どんな世界かは、ご覧になったときのお楽しみに。映画公開を記念して、マーク・オズボーン監督公認の展覧会が高島屋を巡回中です(詳細はリンク先参照)。次回展は横浜で12月9日から。先日閉幕した東京展は、たくさんの人で賑わっていました。
映画で実際に使用されたパペット人形・小道具・資料などの展示の他、メイキング映像の上映や、フラッシュに反応して星が写り込むフォトスポットも! 東京会場では「バオバブの木」実物も紹介されました。
ものづくりの情熱もひしひしと。プレゼン用の『魔法のスーツケース』は、内部がミニチュアの映画セットのようになっていて、模型やアートブックが入っています。監督はこのカバンを持って世界じゅうの映画配給会社へプレゼンに行ったのだそうです。昔の芸術家も絵画やオブジェ作品を縮小したものを作って営業にでかけたといいますが、パソコン時代にこんな楽しい方法でアピールされたら、その熱意に思わず協力してしまいそうです。
「ストップモーション・アニメーション」とは、 静止している物体を1コマごとに少しずつ動かしてカメラで撮影(コマ撮り)し、連続して動いているように見せる技術のこと。『リトルプリンス』も、1日かけてたった1秒分しかできないような、気が遠くなる手間暇をかけて撮影されたといいます。 CGとは異なるレトロな立体感や陰影には独特の暖かみが。映画では、王子のあの黄色いスカーフやキツネのしっぽが、絶妙な量感をたたえて風に揺れるのがとても印象的でした。これらのパペット人形には 和紙が使用されていて、こだわりの手作業とともに、あえて整いすぎない出来映えを目指したそうです。

バオバブの木。原作では、なんと悪役です
バオバブの木。原作では、なんと悪役です

子供には戻りたくない、けれど記憶しておきたい。大人の自分が思うこと

ぽつんと佇む王子のパペット人形の、何かに耐えているような表情と体の小ささに、思わず胸がきゅんと締めつけられました。キャラクターの顔は、企画当初とだいぶ設定が変わっているようです。まさに「キャラが立っている」表情豊かな初期の顔から、まるで感情をそぎ落としたような顔へ・・・けれど、そのおとなしさこそが「活字の世界」への想像力を自由にしてくれるポイントのようにも感じられました。また、展示された人形の傍らには コマ撮り用の「顔」や「手」などのパーツが ずらりと並べられ、王子がじつは繊細に表情を変化させていたことがわかります。現世の無感動に見える子供たちも、大人が気づかないだけで 常時表情を変え多くのメッセージを発しているのかもしれません。
「奇妙」な大人たちのパペット人形は、サイズも大きく顔も強烈!威圧感充分です。ところが・・・正直それほど奇妙には見えなかったりもします。きっと大人の心にはその欠片(かけら)があるからなのでしょう。宝物のように眩しく貴く思える、子供の心の純粋な部分。けれど、いちど大人になった自分がルールを忘れて子供に戻ることなどできません。
ただ、大人よりずっと不自由で孤独だった「子供」という記憶を忘れないようにしたいのです。高慢さを許せない気持ち、戸惑い傷ついてゆく痛み。多感な子供が発する声に、いつも耳を傾けられる大人でいたい・・・(自戒をこめて)そう思います。
ともあれ。大人でいるのは、本当は楽しいことではありませんか?

特別な星をみつけたい☆
特別な星をみつけたい☆