七十二候・処暑の末候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」の時節を迎えました。「こくもの」とは穀物の事。秋になりさまざまな穀物が実る、という意味です。青々としていた水田も徐々に金色に染まり、新米も出回りはじめる、まさにそんな時期。「禾」という字は粟(あわ)の穂がたわわに実った様子をかたどったもので、中国でも日本でも、古代では穀物と言えば米や麦ではなく主に粟のことでした。粟とは、時代劇などで貧しい農民が食べている「アワやヒエ」のあのアワです。

今でも食卓の脇役として

粟は道端に生えるエノコログサ(じゃらし)の原種で、中東アジアから中国を経て縄文時代に日本列島に伝わってきました。かつては粟はもっとも多く栽培され食べられてきた主食の穀物でしたが次第に米や麦にその場を譲り、戦後は大きく生産を減らしました。
ですからあまりなじみがないかもしれませんが、実は割と今でも食べられている食材です。正月のおせち料理でポピュラーな粟酢漬け、こはだやこのしろなどの光ものの魚の酢じめにまぶされた黄色いつぶつぶ、あれはくちなしで色つけた粟です。また近年ではその栄養価が見直され、ご飯と混ぜて炊くともちもちになりおいしいですし、五穀米としても炊いたり、パンに混ぜ込んだりと、再び食べられるようになってきているようです。中国では今でも粟粥は定番で食べられています。
余談ですが、エノコログサも粟の近縁なので、食べられるんですよ。飢饉の折には、エノコログサを脱穀して食べたそうです。

粟と粟花

ところでこの時期秋の野辺に「粟花」と呼ばれる花が咲きます。粟の花の事ではありません。秋の七草の一つとして、昔から日本人に愛されてきた女郎花(オミナエシ)の別名です。
夕されば萩をみなへしなびかしてやさしの野べの風のけしきや 源俊頼朝臣
万葉びとも、また王朝の貴族達も愛好し、オミナエシ縛りの歌会とか、和歌の五七五七七の一文字目を「ヲ・ミ・ナ・エ・シ」にする縛りの歌会も催されたと記録があります。なので女郎花を歌った和歌は数多く、しかもどの歌もどこか親しみやすかったり愛らしい恋心の歌だったりするのは、この花のもつ優しげな雰囲気でしょうか。ただし、近づくと強い油臭というか、敗醤といわれる醤油の腐ったような臭いに喩えられる独特のにおいがしますので注意です。

女子メシは粟ごはんだった?

ちなみに何故オミナエシが粟花かといえば、小さな黄色の花がかたまって咲く様子を淡い黄色の粟のごはんに見立てて。オミナエシの仲間に、やはり秋に咲くオトコエシという花もあります。こちらは黄色ではなく白い花で、オミナエシより大きくがっしりとしているのでオミナ(女)に比してオトコ。そして一説では「エシ」とはご飯の事で、白いお米は男のご飯、それより粗末とされていた黄色い粟は女のご飯、というわけです。もちろん、本当に男だけが白い米を食べてたわけではないんでしょうが、ずいぶんな喩えですよね。
でも実際栄養価も高くなかなかおいしいものですから、秋の実りに感謝して、この秋、女郎花のほうではなく、ホンモノの粟飯をいただいてみてはいかがでしょうか。