記録的な風と雨をもたらした台風15号がようやく日本海へ抜けましたが、再び猛暑日になる地域もあるそうなので油断は大敵です。
とはいえ、ふとした瞬間に秋の気配を感じるようになり「食欲が戻ってきた」という人も多いのでは?
「脂の乗ったさんまに大根おろしをたっぷり添えて」「ぶりと大根の炊き合わせ」など、秋の味覚を使った料理には、「すずしろ」とも呼ばれるダイコンがよく使われます。
今回は、長~い旅路を経て日本にたどり着き、古くから愛されてきたダイコンの知られざる物語をお届けします。

表皮の色も、形も大きさも色々なダイコンが、各地で作られています
表皮の色も、形も大きさも色々なダイコンが、各地で作られています

かつて、アジアを横切る「大根ロード」があった

キャベツやハクサイ、ブロッコリーなどと同じく、アブラナ科に属するダイコン。アブラナ科の植物はどんな環境にも適応しやすく、また交雑しやすいため、さまざまな変種が世界中に分布しています。
ダイコンと人間の歴史はとても古く、古代エジプトではすでにダイコンを栽培していたとか。
ニンニクやタマネギ、それにダイコンが描かれた壁画が発見されているのだそうです。
そんなダイコンの原産地は、地中海から西アジアにかけて。日本に伝わったのは8世紀ごろだと言われています。
シルクロードならぬ「大根ロード」のルートは2種類あり、ひとつは中央アジアからロシア、モンゴル、中国の東北部や朝鮮半島などを経て日本へと至る「北ルート」。この北ルートで伝わったダイコンは「華北系」と呼ばれ、肉質が硬く、耐寒性や貯蔵性が高いのが特長です。
もうひとつは、中東からインド、東南アジア、中国の南部を経て伝わった「南ルート」。
南ルート経由のダイコンは、肉質がやわらかくて汁が多い「華南系」で、日本のダイコンはこの華南系が多いとされています。
大地に突き刺さるように根を下ろした姿、そして消化をよくするなどの薬効から、昔の人びとは「ダイコンには霊力がある」と信じていました。今でも各地に、厄除けや魔除けとして「大根焚き」の行事があるのは、その名残りとされています。

人の往来が増えるにつれ、全国に広まったダイコン

伝来したばかりの頃のダイコンは高級食材で、もっぱら貴族の食卓にのぼっていたようです。普及が始まったのは、鎌倉時代のこと。農耕地の開墾が進み、イネとともにダイコンの栽培が広がっていきました。
室町時代にはさまざまな品種のダイコンが開発され、徐々に庶民の口にも入るように。
さらに江戸時代になると、江戸や大阪などの都市が成立し、参勤交代や寺社への参詣といった「人やモノの移動」が増加します。
人びとの移動とともに、すぐれた品種のダイコンが他の土地に運ばれ、各地で「地大根」が栽培されるようになっていきました。
ちなみに、同じ頃に登場したのが、日干ししたダイコンを米ぬかと塩で漬けた「たくあん」。
これは、江戸時代初期に水車を使った精米方法が広まったことと関連しているようです。
江戸以前までは、漬け物といえば「塩漬け」が一般的。精米技術の発達により、米ぬかが大量に出回るようになったことで、漬け物に使われるようになったのだそうです。

銀座の片隅に今も残る、ダイコン市場の名残り

東京の中心地に、かつてダイコンが盛んに取引された歴史を今に伝える「京橋大根河岸青物市場跡」という石碑があります。
江戸時代の寛文年間、数寄屋橋のたもとに小さな市があったと言います。その後、京橋に移転し、徐々に大きな市場へと発展していきました。多くの品を扱う中でも、とくに量が多かったのがダイコンで、いつしか「大根河岸」と呼ばれるようになったのだとか。
そんな大根河岸は、昭和初期に築地に移転。ダイコンを積んだ舟が行き交った京橋川は埋め立てられ、首都高速道路が通っています。
ちなみに、よく聞く「大根おろしには、がんを予防する効果がある」というのは、実証されています。鍵となるのは「イソチオシアネート」という辛味成分。細胞組織が破壊されると吸収しやすくなるので、おろし金でおろすのはもちろん、よく噛んで食べるのも効果的なのだそうです。ヘルシーな毎日のためにも、おいしいダイコンをたくさんいただきたいですね!
参考:東京農業大学/NPO法人良い食材を伝える会監修「大根読本 考える大根」、
農山漁村文化協会編「地域食材大百科」