4人めのキーマンは日本人の科学者、高峰譲吉博士です。彼はニューヨークに在住し、「アドレナリン」を発見した人物です。彼はタフト夫人が桜の植樹を推進していることを知り、当時の東京市長・尾崎行雄にも協力を要望、東京市から2000本の桜の苗木を贈ることを約束したのです。

こうして、「ワシントンに桜を」という4人の念願がかない、1909年11月、横浜港から2000本の桜を乗せた船がワシントンへと出航しました。ところが、翌1910年1月にワシントンに到着した桜は病害虫に侵され、防疫検査を通過することができず、泣く泣くすべてが焼却処分となってしまいました…。しかし、高峰博士と尾崎市長は桜を贈ることをあきらめませんでした。次に贈るときは病害虫に侵されることがないよう、綿密な計画が立てられ、荒川の桜に接ぎ木などを施して、健康な桜の苗木を育てたのです。

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