『狂気』ピンク・フロイド
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『狂気』ピンク・フロイド
『驚異[DVD]』ピンク・フロイド
『驚異[DVD]』ピンク・フロイド

 以前にも書いたことがあるのだが、みなさんは、自分の年譜というものをまとめたことがあるだろうか? 生まれてから、今まで過ごしてきた主な出来事を、たとえば、1年間を1行くらいで書いてみるのだ。
 たとえば、わたしの場合、

1956年(昭和31年) 誕生
63年 小学校に入学
75年 上京
80年 最初の就職
84年 転職、そこで妻と知り合い
86年 結婚
92年 家を建て替え
2001年 病気で入院
03年 20年勤めた会社を辞め、起業
07年 中山康樹氏と出会い、このミュージック・ストリートの前身のジャズ・ストリートを開始

 こんな風に自分の過去の1年間を、1行ほどでまとめてみるのだ。わたしの考えでは、毎年、1行は、何をしたのか、どんなことがあったのか、書いた方がよいと思う。つまり、60年生きてきた方は、60行の年譜ができるわけだ。

 もしかすると、この年は、前年同様などと書きそうになったりしないだろうか? 毎年、新しいこと、新しい出会いは、あっただろうか? 実はわたしの年譜にも、なにも書いていない年が数年ある。会社勤めの間、異動もないと、「同じ部署2年目」などと書くことになってしまう。誰と知り合った、などでもよいので、思い出してほしい。

 自分の過去を振り返るときに、あなたは、どんなことを思うだろうか?

 音楽との出会いも、この年譜を作っておくと便利である。

 たとえば、今回のテーマであるピンク・フロイドのアルバムをわたしが初めて買ったのは、70年だ。アルバムは、牛のジャケットの『原子心母』。中学2年生の10月。前後の記録として、年譜には、71年、女の子と生まれて初めて映画に行ったと書いてある。写真部の部長にもなっている。

 年譜の上では、「○○と映画に行く」とだけ書いているが、自分の中では、この一言の後に、どんな映画を見に行ったのか、どうして、二人で行くことになったのか、その後どうなったのか、その頃、ほかにどんなことがあったのか、どんな音楽を聴いていたのか、などと言うことが、次々に思い出されてくる。

 年譜を作るまで、そんなことは、まったく忘れていたことだ。

 当時、洋楽を聴いている仲間は、クラスにほんの数人しかいなかった。その数人と、レコードを貸したり借りたりしながら感想を言い合って、知識を増やしていった。ピンク・フロイドの『原子心母』を女の子に貸したとき、その子の感想は「わかんない」だった。
 71年の夏には、「箱根アフロディーテ」という野外ロックフェスが開催され、そこにピンク・フロイドが来ると言うことで話題になった。中学生のわたしは、自分一人ででも行こうという発想もなく、ミュージック・ライフという音楽雑誌の報告を読みながら、勝手に想像していたものだ。ピンク・フロイドが登場すると、野外ステージに向かって霧が発生しはじめ、幻想的な雰囲気の中で、演奏が始まったと書いてあった。
 レコードを聴きながら、霧の中のピンク・フロイドを想像したものだ。

 72年の再来日の際には、とても長い新曲が演奏されたことを知った。この時に、「月の裏側―もろもろの狂人達の為への作品―」という題名と歌詞カードが観客に配られたということも雑誌の記事で知った。
 
 当時は、音楽雑誌くらいしか情報を手に入れる方法はなかったのだ。

 そして、73年3月に『狂気』が発表される。

 当時のロックバンドは、新曲を作る際に、ライヴで演奏しながら作り上げていく方法をとるバンドが多くいた。この『狂気』も、72年の1月の英国でのライヴで演奏されている。その後、演奏を繰り返しながら、レコードの形へと変化していったのだ。

 今では、海賊盤やネットで探せば、その変化の過程を知ることもできるだろう。

 さて、今回ご紹介するのは、「原始神母」というピンク・フロイドのトリビュートバンドだ。このコラムの「第16回 ピンク・フロイドの世界へトリップ」でも、紹介させていただいた。

 今回は、このバンドにより、『狂気』の全曲再現が行われる。

 ピンク・フロイドのツアーは、14年に新譜が出たにもかかわらず、今のところツアーの予定はなさそうだ。

 今年も、わたしは幻のピンク・フロイドを探しに出かけることになりそうだ。 [次回6/29(水)更新予定]

■コンサート情報はこちら
・バンドのHP
http://pinkfloydtrips.com/index.html
・主催者のHP
http://clubcitta.co.jp/001/genshishinbo/