『Niagara Moon 30th Anniversary Edition』大滝詠一
『Niagara Moon 30th Anniversary Edition』大滝詠一
『A LONG VACATION 30th Edition』大滝詠一 ※《FUN×4》入っています。
『A LONG VACATION 30th Edition』大滝詠一 ※《FUN×4》入っています。
『泰安洋行』細野晴臣
『泰安洋行』細野晴臣
『ムーン・ビームス』ビル・エヴァンス ※《ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス》入っています。
『ムーン・ビームス』ビル・エヴァンス ※《ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス》入っています。
『シャンソン・ソレール』コシミハル ※《詩人の魂》入っています。
『シャンソン・ソレール』コシミハル ※《詩人の魂》入っています。

 今回は、はじめに告知をさせていただきます。
 毎年開催している「こじゃず」を今年も、2014年5月25日(日)築地本願寺ブディストホールで開催します。
「こじゃず」は、「こどものためのジャズ」の略称。誰もが知っている名曲に加えて、即興演奏、他のアートとのコラボレーションなど、こどもたちを刺激する要素がいっぱいです。大人にもこどもにも、楽しめるライヴ。NHKからの取材も入る予定です。
 わたしは子供向けのイベントとして、「こじゃず」と「こども寄席」を毎年、数回開催しています。こどもたちに、いろいろな世界を知ってほしい、こんな大人がいるんだということを、体験してほしいと思っています。ぜひ、お運びください。詳しい情報は、こちら。http://mazel-japan.co.jp/childeye/jazz/

 さて、細野晴臣と大瀧詠一であるが、はっぴいえんど解散後、それぞれが自宅での宅録をはじめる。つまり、録音のための機材を調達し、既存のスタジオに出かけるのではなく、自分のペースで音楽制作ができるようにしたというわけだ。
 それらの機材でソロ・アルバムを作ると同時に、細野は、キャラメル・ママ(のちにティン・パン・アレーと改名)を結成、さまざまなアーティストのプロデュースや演奏家として参加している。
 これは、はっぴいえんど時代にも言えることだが、細野晴臣が他のアーティストのアルバムに参加している場合、レコードの帯などに「細野晴臣:参加」などとよく書かれていた。
 これは言うまでもないが、細野が参加しているということで、レコードの売り上げにつながると考えられていた証だと思う。また、細野のベースが入ると、音楽が活性化し、聴いていて楽しくなるのも事実だ。わたしも、細野晴臣:参加のレコードを探して聴いたものだ。

 当時の作品で、今でも記憶に残るものに、荒井由実の『ひこうき雲』、遠藤賢司『満足できるかな』、南正人『ファースト』、高田渡『ごあいさつ』、小坂忠『HORO』など、ほかにも、たくさんある。

 ベーシストとしての才能もさることながら、「トロピカル三部作」と自身が呼ぶソロ作品、『トロピカル・ダンディー』(1975年)、『泰安洋行』(1976年)、『はらいそ』(1978年)では、世界のリズムやテイストを取り込み、わたしがそれまで聞いたことがなかった音楽世界を教えてくれた。
『トロピカル・ダンディー』に入っていた《CHATTANOOGA CHOO CHOO》はグレン・ミラーが演奏していた曲だし、『泰安洋行』の《香港Blues》は、《スター・ダスト》の作曲で知られるホーギー・カーマイケルの曲だ。『はらいそ』にも、グレン・ミラーの《ジャパニーズ・ルンバ》、ワンダ・ジャクソン《フジヤマ・ママ》などが取り上げられていた。また、沖縄民謡の《安里屋ユンタ》も歌っている。また、YMOで演奏していた《ファイアークラッカー》で、わたしはエキゾチック・サウンドのマーティン・デニーを知る。

 また、ワールド・ミュージックのオムニバスCDなども編集している。そのなかでも、わたしのお気に入りは『美しい時』と題された10枚組みCDだ。世界中の民謡(のようなもの)を集めたもので、通販で売られていた。
 その最初の1枚目の1曲目が、シャンソン歌手シャルル・トレネの《詩人の魂》だった。その歌詞は、詩人が死んでも、その作品は、歌われ、愛されるだろう。人を幸福にも、悲しくもさせるだろう。歌詞がわからないときには、「ららら」と口ずさまれるれるだろう、といった内容だ。詩人は死んで、作品は残るというわけだ。
 その後、細野プロデュースでCDも出したり、一緒に演奏もしているコシミハルが、日本語で歌った《詩人の魂》も聴いた。女の子の明るさやコケティッシュな魅力があって、わたしは好きだ。おしゃれなパリジェンヌの香りがするようだ。

 つまり、細野晴臣の音楽をたどっていくことで、世界中の音楽と出会えるということだ。
 その後、細野はYMOを結成し、散会後はフレンズ・オブ・アース(F.O.E)という名のグループで、ジャームズ・ブラウンのオープニング・アクトをつとめたり、アンビエント・ミュージックを手がけたりしていた。
 わたしは、フレンズ・オブ・アースを1986年2月、武道館のジェームズ・ブラウン公演でいっしょに見た。これがわたしの、はじめての生細野体験だった。また、アンビエント・ミュージックは、95年9月に外苑前の青山善光寺で開催された「Water in the City 細野晴臣+雲龍+@」を見ている。夏の終わりの神社の庭に、篝火を焚いての演奏だった。篝火の薪のパチパチと燃える音と虫の音を背景に、ガムランと笛の音がマッチして、都会の真ん中とは思えないようなひとときを過ごした。
 YMOに関しては、当時、DVDが現れる前のLD時代に、販売されているすべてのLDを買うほどだったが、ライヴには一度も行けていない。最近はこの3人、いろいろな活動をしているので、見る機会があるだろう。細野晴臣はソロとしても、活発な音楽活動をしている。

 前回登場した弘美に初めて聞かされたときから、大瀧詠一も大好きになった。
 弘美は『ナイアガラ・ムーン』のB面1曲目の《福生ストラット》をかけながら、わたしにこう言った。
「福生行きの切符、買った~、お守りに~、だぞ。ストラットだぞ! かっこいいなあ~。しかも、パート1がなくて、いきなりパート2だぞ。すげえ~な~」
 わたしは、
「なんでフッサ行きの切符なんて買うんだ?」
と聞いた。
「福が生まれる駅なんだよ。北海道の愛国駅から幸福駅ゆきの切符があったろう? それにあやかって、福生行きの切符を買ったんだよ」
「ストラットってなんだ?」
「これは、リズムの名前ではなく、大げさに歩くという意味だ。大瀧の解説に書いてある」

 大瀧詠一と大滝詠一の2種類の書き方があるが、歌う場合は大滝詠一、作曲は大瀧でやっている。といっても、編曲を多羅尾伴内という名でやったり、ほかにも、笛吹銅次、南部半九郎、イーハトヴ・田五三九など、さまざまな名前を使いまくっている。
 ビートルズをはじめとして、海外のアーティストも契約しているレコード会社などとの関係で、別名で演奏していたりすることがあるが、そんなところをわざとまねしたのではないだろうか。そういえば、松任谷由実も、松田聖子への楽曲を提供する場合、呉田軽穂という名を使っている。《秘密の花園》や《渚のバルコニー》が呉田軽穂としての作品だ。

 大瀧詠一の作品からもたくさんのことを教わった。『ナイアガラ・ムーン』の中の《論寒牛男》や《三文ソング》がプレスリーみたいな音だな、と感じたのが最初で、ドクター・ジョンの《アイコ・アイコ》を聞いたときには、大瀧の《ハンド・クラッピング・ルンバ》だとすぐにわかった。しかしこれが盗作じゃないか、ということより、洒落たことやるなあ、と思って感心してしまった。

 その後も元歌探しをし、見つけては一人で喜んでいた。
 とくに記憶に残っているのは、ビル・エヴァンスの『ムーン・ビームス』の《ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス》を聴いているとき、『ロング・バケーション』の《FUN×4》と一致したのだ。メロディはほとんど同じなのだが、リズムもイメージもまったく違う。音楽っておもしろいなあ、と思った一瞬だった。

 最後に、細野晴臣と大滝詠一が同じステージに立ったのは、1985年の「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW by LION」だと思う。
 たった一度のはっぴいえんど再結成ライヴだった。このときも、わたしは仕事で会場に行って見ることができなかった。その後、このときのライヴ映像が出回っているという情報を手に入れ、VHSビデオなどを手に入れたが、砂嵐のような画面がもぞもぞと動いているところに、リズム・ボックスにのったはっぴいえんどの演奏が聞こえていた。

 この文章を書きながら、あらためて動画で検索すると、細野がキャップをかぶり、大滝がベストを着て、鈴木茂がテンガロンハットをかぶり、松本隆が濃いサングラスをして演奏をしているのがわかった。
 ほんとうに、この人たちから、たくさんのことを教わったのだなと、あらためて感謝した。
 大瀧詠一氏に、哀悼の意を表します。[次回5/14(水)更新予定]

■細野晴臣ライヴ情報
http://www.hosonoharuomi.com/live/