『ディスカヴァリー!』チャールス・ロイド
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『ディスカヴァリー!』チャールス・ロイド
『オフ・コース、オフ・コース』チャールス・ロイド
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『オフ・コース、オフ・コース』チャールス・ロイド
『ニルヴァーナ』チャールス・ロイド
『ニルヴァーナ』チャールス・ロイド

 テナー・サックス/フルート奏者チャールス・ロイドは、ジャズの世界にとって「感嘆符つきの発見」だった。1964年5月に吹き込まれた初のリーダー・アルバムは『ディスカヴァリー!』と題され、1曲目に収録された《フォレスト・フラワー》というロイドのオリジナルは、それまでのジャズの世界にない感覚とポップな魅力をそなえていた。そしてロイドが吹くテナー・サックスやフルートは、メンフィス・ブルースの香りとインドの民俗音楽が一体となったような不思議な浮遊感にみち、それは従来のジャズの概念を大きく塗り替えるものだった。

 チャールス・ロイドは1938年3月15日、テネシー州メンフィスで生まれた。チコ・ハミルトン(ドラムス)やキャノンボール・アダレイ(アルト・サックス)のグループで脚光を浴びたが、それまではマディ・ウォーターズやBBキングをはじめとするブルース・ミュージシャンと共演を重ねていた。また一方ではボブ・ディランの音楽を愛聴していた。こうした経験が、ロイドを「いわゆるジャズ」の圏外に置く要因となった。

 先の『ディスカヴァリー!』は、当時CBSコロンビア・レコードで活躍していた名物プロデューサー、ジョージ・アヴァキャンによって制作された。アヴァキャンはロイドが「旧来型のジャズ・ミュージシャン」でないことに着目し、自社と契約を交わすと同時にテレビの特別番組『ディスカヴァリー!:チャールス・ロイド』の実現に奔走し、一方でデビュー・アルバム『ディスカヴァリー!』のプロデュースにあたる。このテレビとレコードのタイアップは、しかし期待したほどの成果を上げることはできなかった。それだけロイドの音楽が新しく、またタイアップが相乗効果を発揮するような時代ではなかった。つまり世間はロイドを「感嘆符つきの発見」とまでは認識していなかったことになる。

 事態は2作目の『オフ・コース、オフ・コース』が発売されてからもあまり変わらず、予定されていた3作目『ニルヴァーナ』は発売が見送られ、ロイドの人気が上昇する68年になってようやく発売された。ただし一説では『ニルヴァーナ』というアルバムはそもそも存在せず、ロイドの人気に対処すべく急遽編まれた編集盤ともいわれている。さらに録音時期に関しても諸説あるが、前作『オフ・コース、オフ・コース』とほぼ同時期とするのが正しいようだ。

 ロイドが率いたグループとしては、60年代後半のキース・ジャレットとジャック・デジョネットが参加したカルテットが有名だが、『オフ・コース、オフ・コース』と『ニルヴァーナ』は、レコーディング主体とはいえ、ロイドが最強ともいうべきグループを組み、リーダーシップを発揮していたことを雄弁に伝えている。『オフ・コース、オフ・コース』におけるロン・カーターとトニー・ウィリアムスの起用は、2人が参加していたマイルス・デイビス・クインテットのロイド的転化であり、『ニルヴァーナ』ではガボール・ザボ(ギター)とピート・ラロカ(ドラムス)という鬼才2人を迎え、このグループでしか聴くことのできない個性とサウンドをもった音楽を創造している。そのユニークな響きは、当時「発見されなかった」のも当然かもしれないと思わせるくらい、いまなお新しい。

 最大のポイントがハンガリー出身のギタリスト、ガボール・ザボの起用にあることはまちがいないだろう。ザボとロイドはチコ・ハミルトン・グループ時代からの共演仲間、互いにジャズを民俗音楽として再定義することで共鳴し合っていた。その可能性を主流的なジャズのフォーマットのなかでいかに実現するか。『ニルヴァーナ』には、その第一歩が記されている。以後のロイドはこの路線をさらに推し進め、キース・ジャレットとジャック・デジョネットを従え、「ザ・ファースト・サイケデリック・ジャズ・グループ」と称されるカルテットを組み、ロックの殿堂と謳われた「フィルモア」にジャズ系グループとして初めて出演するなど、ジャズとロックの架け橋となって活躍した。[次回5/11(月)更新予定]