でもあの時、ヴォーンさん、歌ってくれなかったなあ。それだけが残念。終演後で疲れていた&バックバンドは一緒でなかった&店のピアニストがジャズもどきのこども。そんな要素がかさなって歌ってくれなかったのだけど、アカペラでもいいから4小節でもいいから歌声が聴きたかったなあ。

 と、ここまでとりとめなく思いだし語りをして、そこから話しがどこへいくかというと『ラ・ラ・ランド』。最初にはっきりと。私「否定派」です。しかしまだ若干32歳のデミアン・チャゼル監督、彼はいったいどんな「若かりし頃だったのだろう?」(今もまだ若いけど)。私は彼の作品が苦手なのだが、その一因に、彼の“音楽を勉強してきたが、挫折せざるをえなかったトラウマ”が、あるような気がする。新作を見もせずに、あーだこーだ言うことはできないので、今後も必ず見ます。が、次作もまた音楽モノなのかな? 心配。当分は見守るしかないのか!?(守りたくない、ああ、守りたくない?)

 もちろん彼はまだまだ書くだろうし、撮るだろうし、作るだろうし。私としては毎作、呆然、唖然と見届けるしかないのだろうか。ああ、それでも、そうだとしても、ただ一つだけ知りたいことは、音楽が、「偉大なミュージシャン」になろうとしてずっと学んで練習してきた音楽、でも自分には無理だと挫折してしまった音楽、というものが、彼にとってどれくらいの大きさの「トラウマ」になっているのだろうか、ということ。前出の店のオーナーの精神科医に精神分析をしてもらいたい。願わくば、治療を受けて、もう彼が「音楽モノ」をやめて違うジャンルにその創作意欲を向かわせてほしい。

 彼が「雇われ脚本家」として書いた作品が『グランドピアノ 狙われた黒鍵』だって知っていますか? 私は見ていないのですが、そのストーリーは、以下大まかにですが、

「若き天才ピアニストが、あるトラウマを抱えたことで長年演奏から遠ざかっていた。しかし、彼の恩師が亡くなり、その追悼コンサートが行われることになったため、彼は5年振りにステージに立つことになる。当日ステージにあるのは、恩師が遺した最高級のグランドピアノ。演奏する曲は、彼とその恩師以外には完璧に演奏できる者はいないと称される超難曲。

 大きなプレッシャーの中、いよいよ演奏が始まる。すると彼は、楽譜に書かれた『1音でも間違えたら、お前を殺す』という謎の脅迫文に気づく。その脅迫はイタズラではなく、間違いなくスナイパーが彼の命を狙っているのだった。こうして彼は、理由も分からぬまま、命をかけた演奏に挑むことになってしまう」

 どうなのよ、これ……。

 ああ、私にもきっと自覚していない「音楽トラウマ」はあるのだろうけど、デミアン君のようなトラウマでなくてよかった。いつか音楽に復讐する映画ではなくて、“遠い過去、青春時代を甘く追想する音楽映画”撮ってください! と、偉大とはほど遠い、しかし老音楽家に片足つっこんでいる男が言うよ。

 しかし、偉大ってなに? 誰が決める! 偉大である必要があるのか? チャゼル家の家訓か? アカデミー賞監督であることは偉大なのか? ああ、意地悪なオレ。ほめちぎれよ! 次回ね、必ず。

映画『グランドピアノ 狙われた黒鍵』予告編

この映画は私は絶対に見ません![次回4/17(月)更新予定]