B.B.KING “THE THRILL IS GONE”
<br /> Album 『COMPLETELY WELL』 (1969)
B.B.KING “THE THRILL IS GONE”

Album 『COMPLETELY WELL』 (1969)

『DEUCES WILD』B.B.KING
『DEUCES WILD』B.B.KING
『80』B.B.KING & FRIENDS
『80』B.B.KING & FRIENDS

 前回のコラムで取り上げたドゥエイン・オールマンは、1960年代初頭、十代半ばのころに弟のグレッグと観たB.B.キングのコンサートが決定的なきっかけとなり、ミュージシャンとして生きる意思を固めたといわれている。その後の経緯と彼が成し遂げたことについては、次回詳しく書く予定だが、つまり、それだけB.B.キングは彼らに強烈な刺激を与えたということだろう。わずかな音であらゆることを語ってしまう表現力豊かなギターはもちろん、その深みのある声と、そしてバンド全体の素晴らしさが、大げさないい方をするなら、少年たちの生きる道を決めてしまったのだ。

 1925年、ミシシッピ・デルタの綿花地帯で生まれたライリー・ベンジャミン・キングは、幼少期、地元のバプティスト教会で音楽の魅力を知り、また母方の親戚でもあったブッカ・ホワイトの影響もあってブルースに興味を持つようになったという。その後、メンフィスの聖地ビール・ストリートなどで経験を積み、49年に最初のレコードを吹き込んでいる。ちなみに彼は、マディ・ウォーターズより12歳、ハウリン・ウルフより15歳下。戦前のデルタ・ブルースを基礎に置く彼らの次の世代にあたるわけで、早くからエレクトリック・ギターを手にしていたことや、ジャズやカントリーの要素も自由に取り込む姿勢がキングの音楽をより個性的なものとしていた。

 ドゥエインはもちろん、エリック・クラプトン、マイケル・ブルームフィールド、ピーター・グリーン(フリートウッド・マック)など60年代世代の大物ギタリストたちはほぼ例外なくキングから強い影響を受けている。クラプトンは67年にクリームの一員として渡米したとき、彼とセッションをする機会を得たものの、緊張して思うように弾けなかったそうだ(そこで残された印象的な写真が2000年発表の共演作『ライディング・ウィズ・ザ・キング』のトレイ裏に使われている)。

 B.B.キングの代名詞となったマイナー・ブルースの名曲《ザ・スリル・イズ・ゴーン》が録音されたのは、1969年夏。同年発表のアルバム『コンプリートリー・ウェル』に収められ、シングルとしてはポップ・チャートでも15位のヒットを記録している。つまり、ドゥエインやエリックたちの発言や行動によってすでに大きな存在となっていたB.B.キングが、70年代という新しい時代に向けて発表した作品だったのだ。のちにイーグルスとの仕事で巨大な成功を収めるビル・スィムズィクがプロデュースを務め、シンガー・ソングライター系の人というイメージが強いポール・ハリスがキーボードを弾いていることなど意外なポイントも多いのだが、そういったことあって大きなヒットとなり、結果的にキングの評価と知名度をさらに高めることになったのだと思う。

 B.B.キングは1小節に1音しか弾かなくても、いや、1音を弾くだけで彼だけの世界を築き上げることができる、特異なギタリストだ。たとえば《ザ・スリル・イズ・ゴーン》のイントロでの、ドラムスのフィルを受けて聞こえてくる最初の音からして、まさにキングそのもの。どうやっても彼のように弾くことができず、速さや大音量に逃げてしまったギタリストも少なくなかったはずだ。

 自作曲ではないものの、《ザ・スリル・イズ・ゴーン》はB.B.キングのヴァージョンを原典として多くの人たちにカヴァーされてきた。キング自身も、1997年発表の『デューシズ・ワイルド』ではトレイシー・チャップマン、2005年発表の『80』ではクラプトンとの共演で新録音ヴァージョンを残している。どちらも充実した仕上がりだが、とりわけ後者での二人のギターの絡みは、素晴らしい。[次回3/29(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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