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第66回 ベビーカーでスカウト? おニャン子の“歌姫”の原点とは<内海和子インタビューその1>

文・原田和典

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「初ソロ・ライヴに向けて、家族と口をきく余裕がないくらいどっぷりトレーニングしました。30年間待ってくださった方もいらっしゃるし、“おニャン子の歌姫”といわれていた以上は、しっかりしなければと……」

「アイドルをどう魅力的に撮影するか?」に迫った前シリーズに替わり、今回から新シリーズへと突入する。元おニャン子クラブ13番、内海和子さんご本人の登場だ。

 去る3月25日、新宿ロフトで「NEXT歌謡フェス2017」が開催された。キャッチフレーズは“新しい歌謡曲の魅力を発信する次世代への歌謡フェス”。半田健人や町あかりなど“歌謡曲ニューウェイブ”といいたくなるような気鋭、ロック歌謡系のカヴァー曲で人気を集めるアイドル“アイドルネッサンス” 、’70年代から活動を続ける原田真二など多彩な面々が一堂に会したイベントだった。

 内海さんはおニャン子時代の盟友である立見里歌と漫才のようなトークを繰り広げたり、さらに文筆の世界でも活躍する地下アイドルの姫野たま、おとといフライデー(小島みなみ、紗倉まなのふたりによる清純派ユニット)と一緒におニャン子の定番「セーラー服を脱がさないで」をパフォーマンスするなど大活躍。ソロ曲「蒼いメモリーズ」では“歌姫”と呼ばれていた往年と変わることのない伸びやかで優しい歌声を味わわせてくれた。

「まさしく現役だ。いままで“Girls!Now”ではアイドル業界を支えるスタッフに話をうかがってきたが、特別編としてぜひ内海さんに取材できないものか」という思いが日に日に強くなってきたところ、共通の知人である「music bar 45」(渋谷・桜丘町)のオーナーご夫妻の尽力もあり、話は急転回。気が付くと、ぼくは“歌姫”のインタビューをしていた……という次第である。

 おニャン子クラブが存在したのは1985年4月1日から87年9月20日まで(内海さんは87年4月に卒業)。今にして思えば約2年半という、信じられないほど短い活動期間だったが、その輝きは鮮烈の一言に尽きた。

 アイドル界に革命を起こし、「おニャン子本体」「その中のピックアップ・グループ」「人気メンバーのソロ」の3点でヒット・チャートを独占した。大人数アイドル・グループの型を確立したといえるおニャン子がいなければ、東京パフォーマンスドール、モーニング娘。、そして48グル―プや坂道シリーズも現在のような形では存在しなかったといっても過言ではないはずだ。

 そのおニャン子の初期・中期メイン・ヴォーカルのひとりだった内海さんの“現在の”トークは、往時のアイドル・ファンの胸を熱くさせるだけではなく、進行形のアイドル・ファン、そしてアイドル本人にも少なくないインスピレーションを与えるに違いない。


(更新 2017.4.27 )


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プロフィール

原田 和典(はらだ・かずのり)

 北海道出身。ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題を新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。著書は『元祖コテコテ・デラックス』『世界最高のジャズ』他多数、共著に『アイドル・ソング・クロニクル2002-2012』等。ブログ「原田和典『ブログ人』」に近況を掲載。twitterアカウントは @KazzHarada