第57回 『セッションズ・フォー・ロバート・J』エリック・クラプトン |AERA dot. (アエラドット)

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第57回 『セッションズ・フォー・ロバート・J』エリック・クラプトン

文・大友博

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 はじめてロバート・ジョンソンの作品群と正面から向きあった『ミー&Mr.ジョンソン』の発表からわずか3カ月後ということになる2004年6月、エリック・クラプトンはテキサス州ダラスでクロスローズ・ギター・フェスティヴァルを主催している。幅広い分野から50組近いアーティストを招き、コットン・ボウル・スタジアムと隣接する公園を会場に、3日間にわたって行なうという大規模なものだった。自ら設立した更生施設をサポートすることを目的とした企画ではあったが、彼がそこで伝えたかったのは、ギターという楽器の本質的な魅力と可能性、そして、そのシンプルな楽器によって結ばれたミュージシャンたちの絆だった。

 同時期、クラプトンは2回目の本格的なギター・オークションをクリスティーズに依頼している。『レインボウ・コンサート』から80年代半ばにかけてのメイン・ギターだったブラッキー(3本のストラトキャスターのベスト・パートで構成されたスペシャル・モデル)、クリームの解散コンサートで弾かれたギブソンES-335、復活=初来日当時の愛器だったマーティンも出品され、いずれも想定外の金額で落札された。

 テキサス州ダラスは、1937年6月にロバート・ジョンソンが生涯最後のレコーディングを行ない、《ミー・アンド・ザ・デヴル・ブルース》、《ラヴ・イン・ヴェイン》、《モルティッド・ミルク》などを残した土地でもある。もちろん、そういった歴史的事実も考慮したうえでフェスティヴァルをその南部の都市で開催することにしたのだろう。

 さらにクラプトンは、英国サウス・オックスフォードシャーでのスタジオ・ライヴを中心にジョンソン曲集の続編をつくり上げ、合宿形式のリハーサルや、ダラスでの(まさにジョンソンの録音が行なわれたビルでの)ドイル・ブラムホールⅡとのアコースティック・セッションなどを記録したDVDとあわせて、『セッションズ・フォー・ロバート・J』というタイトルの作品を同年年末に発表している。

 五十代最後の年に、労作と呼ぶべきアルバム2枚の発表と大規模なフェスティヴァルの主催。なんとも、すごいパワーだ。ひょっとすると、家族に捧げるアルバムの制作がうまく進まなかったことがすべてのきっかけだったのかもしれないのだが、そこで示したパワーは、次の年も衰えることがなかった。[次回7/8(水)更新予定]


(更新 2015.7. 1 )


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プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)

 1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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