『デューク・エリントンズ・アメリカ』ハーヴィー・G.・コーエン著
『デューク・エリントンズ・アメリカ』ハーヴィー・G.・コーエン著

●デューク・エリントンが残した足跡

 デューク・エリントンのように国際的に活躍し、文化的な影響を永続して及ぼしたアーティストは、アメリカのいかなる表現形式においても皆無に等しい。

 エリントンは優に半世紀の間、音楽界の第一人者として君臨した。彼は、《ムード・インディゴ》や《ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニイモア》といったジャズのスタンダードから、より長く、よりオーケストラルなオリジナルの組曲にいたるまで、あるいは、大半のビッグ・バンドが活動を停止した後も、花形のビッグ・バンドを長年にわたり率いたリーダーシップにいたるまで、常に新しい道を切り開き、類まれな才能を示したのである。

 同時に、エリントンは歴史上もっとも傑出した黒人の著名人として、公民権、人種的平等、世界におけるアメリカの役割といった問題に関しても、リーダーシップを発揮した。

 本書『デューク・エリントンズ・アメリカ』は、徹底的なリサーチに基づき、また、新しいインタヴューを盛り込み、ワシントンD.C.の黒人の中流家庭に育ち、世界的な名声を極めた、この偉大な音楽家の人生とその時代を鮮明に描く。

●レオポルド・ストコフスキーとの出会い(第3章 Serious Listeningより抜粋)

 1930年代中期、エリントンは、マンハッタンのミッドタウンに移転した「コットン・クラブ」と再契約を結び、レギュラー出演していた。彼はある夜、ステージを見下ろすボックス席に一人座り、ショーの開演を待つレオポルド・ストコフスキーの姿を見つけた。
 エリントンは、アメリカのクラシック界を代表する、フィラデルフィア・オーケストラの白人指揮者のもとに挨拶に行った。彼らは、当意即妙の言葉を交わし、手短に互いを賞賛しあった。

「私は常々、あなたに会いたいと思っていました。あなたの作品を、あなたが指揮する音楽を聴きたかったのです」と、ストコフスキーは言った。「あなたが音楽の中で懸命に試みようとしているものは何か、ぜひお聞きしたいのですが」。

 エリントンが答えたとされる言葉は、二通り紹介されている。それらはともに、彼がこの時期に、そしてその後も、くり返し表明していたように思われる見解である。

 バリー・ウラノフが報じたところによれば、「私はアメリカの黒人を表現する純然たる黒人のメロディーを確立しようと努めています」と、エリントンは説明した。

 また、ジョン・エドワード・ハッセは自著のエリントン伝で、次の発言を引用している。「私は、自分の耳で聞き、認識しているように、アメリカの音楽を表現しようとしています」

 エリントンはその夜、ストコフスキーのために彼のコンチェルトをプログラムに組み入れた。バンドは、黒人の歴史、アイデンティティ、フィーリングを存分にみせた…