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「話題の新刊」に関する記事一覧

アンリ・バルダ 神秘のピアニスト
アンリ・バルダ 神秘のピアニスト 古き良き19世紀の気配を奏法に感じさせるピアニスト、アンリ・バルダ。国際的には無名に近く、「知られざる幻の巨匠」とも「神秘のピアニスト」とも呼ばれる。エジプト・カイロ生まれのフランス系ユダヤ人で、パリ音楽院の教授。70歳を超えているが、気難しく、自分を売りこまない。  自身もピアニストの著者は、多彩な音楽表現を「別人かと思うように変化する」と驚く。その音楽のヒミツに接近するため、取材に非協力的なバルダを10年間追いかけ、評論風エッセイの形で人物像を浮かび上がらせた。  天才的な演奏の陰で、極端なプレッシャーに怯え、プライベートでは伏し目がちで愚痴ばかりこぼす、愛すべき面も描いている。レッスンも独特で、生徒が指だけでなく耳で響きを覚えていることを確認するため、バルダは弾いている曲を、別の調に移して弾くように生徒に命じる。カイロでエドワード・サイードと同じピアノの師についていたことから、サイードに招かれコロンビア大学のホールで演奏する話もあり、行間からピアノの音がこぼれてくる瞬間が愉しい。
知の最先端
知の最先端 国家間の秩序から経済、文化まで、いま世界は根こそぎ変わりつつある。混沌とした世界をどう理解すればいいのか。国際政治、経済、ITなど各分野の最高の頭脳7人にインタビュー、未来構築のためのヒントを探る。  人はいかに決断するのか、選択の原理を解明したアイエンガー、デジタル世界との融合で製造業の常識を変える「メイカーズ革命」を実践するアンダーソンなど、どれもおそろしく刺激的。異なる専門分野、異なる文化に立つ複数の視座から語られることで、入り組んだ世界の核心部分が鮮やかに浮かび上がる。  システムがオープンなアメリカに比べ、日本は閉鎖的で変化を嫌うというおなじみの指摘もある。面白いのはイノベーションの専門家・クリステンセンが、ソニーはウォークマン以降、社会の価値観を変える破壊的イノベーションを一つも出せずにいると述べる一方で、いま絶好調のアップルも近く同じ轍を踏むだろうという予測をしていることだ。  好調な国のやり方をただなぞっても意味はない。自国にふさわしい独自の方法を見つけることこそ重要だと教えている。
遺産
遺産 ヒマラヤなどを舞台に壮大な物語を紡いできた著者による冒険小説。400年前に太平洋に沈んだスペイン船の引き揚げをめぐり、日本の水中考古学者と一攫千金を狙うアメリカの企業が競い合う。  主人公は、語学に堪能な若手研究者で、20代近くさかのぼる先祖に、太平洋を横断する船の筆頭航海士を持つ。江戸時代、暗礁に乗り上げた船から乗組員を待避させたのち、船と運命を共にした英雄だった。主人公は半ば伝説だった先祖と血がつながっていることに心を躍らせる。  海中遺物の発掘には莫大な金がかかるが、船体に穴を開けて金目の遺物のみを回収し、世界中に売却しようとする企業を、何としても阻止しなければならない。相手はスペイン政府の高官に賄賂をばらまき、有利な協定を結ぼうとする。ユネスコが主導する水中文化遺産保護条約は、まだ多くの国が批准していない。さらには海底火山が噴火して公海に新たな島が現れた場合の利権が絡む。困難に立ち向かい、夢を追い続ける清々しさを著者は見事に描き切っている。
西荻窪の古本屋さん
西荻窪の古本屋さん 独特の個性を持ったお店が軒を連ねる街、西荻窪。本書は西荻で「音羽館」という古本屋を14年間営む著者が、店の歴史や商売の実際について語り下ろしたものだ。  著者は店を作る際、古本屋に代々根付く「店がきれいである必要はない」という価値観を見直し、棚作りなど随所に工夫を凝らしたと語る。例えば「女子棚」。料理本や街歩きなどの本をまとめた棚のことで、最近では名前に反して中高年男性の売り上げが伸びているという。ほかにも100円均一本の値段シールに「ヨ、キ、ミ、セ、サ、カ、エ、ル」(良き店栄える)の一文字をつけ半月ごとに文字を変えて売れ行きを見る、漫画家や編集者などモノ作り関係者が多い西荻という街の客層に合わせて本を並べる、なるべく異なる色同士の本を並べて躍動感を出す、など独自の工夫が語られ興味深い。  穂村弘や大竹昭子、岡崎武志ら作家や元店員らがエッセイを寄せている。読了後に店に足を運べば、エッセイでも証言される著者の人当たりの良さや、棚の魅力を実感するはずだ。
本当は怖い小学一年生
本当は怖い小学一年生 タイトルからは授業中に教室を走り回ったり、暴れ回ったりする小学生を想像するかもしれない。本書にもモンスター化する小学生は登場するが、著者の批判のまなざしは、児童の振る舞いや育ちではなく学校制度に向けられる。  現在の教育制度は明治時代に欧米へのキャッチアップを目的に作られたことは広く知られる。効率性や協調性を育むことが重視され、詰め込み式の学習形式が徹底されたが、経済水準で欧米に追いついた今でも富国強兵の影を引きずる授業が行われている。順応しない児童は「落ち着きがない」「親のしつけが悪い」と声高に非難されるが、時代と制度の乖離を考えれば授業に馴染めない児童の方がむしろ自然だと著者は投げかける。  世間では創造性を重視する教育の機運が高まるが、教育現場は海外と比べてクラスあたりの児童数が多く、足並みを乱す変わった児童は歓迎されないままだ。環境が激変しながらも思考停止に陥り、現状を疑わない大人たちこそが「本当に怖い」存在であることを痛感させられる。
マンガの食卓
マンガの食卓 マンガに描かれた「食」の紹介本。圧倒的な読書量と調査能力に目がくらむようだ。巻末の「作品名索引」を見てみると、ずらりと200のタイトルが並んでいるが、本当はそれ以上のネタがあった模様。「本当はもっと書きたかったが、原稿段階で『こりゃ入りきらないな……』と泣く泣く割愛した作品がいくつも」あったのだという。マンガにおける食の幅広さと奥深さに驚かされる。 『美味しんぼ』や『花のズボラ飯』のような「グルメマンガ」はもちろんのこと、食をテーマにしていないマンガの食についても取り上げている。たとえば『ドラゴンボール』において、主人公である悟空の食事シーンが描かれていたのは連載初期であって「〈1粒くえばゆうに10日間は飢えをしのげる〉という〈仙豆〉を手に入れて以降、食事シーンはほぼなくなる」という。そして戦闘シーンが増えていくにつれ「情緒的描写よりもバトル」に重きが置かれ、食にまつわる表現が減ってゆく。よく知っているつもりだった人気マンガも、食に着目してみると「別の顔」が見えてくる。

この人と一緒に考える

“ツウ”が語る映画この一本2
“ツウ”が語る映画この一本2 作家や音楽家、医師など、その道の専門家が過去3年の映画について語る。  ロボット工学博士・古田貴之は「人は人に介護されるのが一番」という理由から介護ロボットに反対だが、アメリカ映画「素敵な相棒」は楽しんだ。一人暮らしの頑固じいさんのもとにロボットヘルパーがやってきて、じいさんの健康によかれと、さまざまな行動を強制する。だが、じいさんは次第に元宝石泥棒だった本領を発揮。ロボットに鍵の開け方などを教えてどんどん元気になっていく。自発的になにかをさせようとするロボットの描かれ方は、技術的に可能な範囲という。  社会活動家・湯浅誠が取り上げるのはフランス映画「キリマンジャロの雪」。会社から人員削減をまかされた50代の主人公は、自らも解雇される側にまわる。だが、同じように解雇された若者から怒りを向けられる。より大きな困難を抱えていたのだ。その若者の環境は日本にいる「典型的なワーキングプア」と湯浅は言う。ほかにも恋愛ものや音楽映画など幅広いジャンルが揃い、映画を観る前にも観た後にも楽しめる。
犯罪は予測できる
犯罪は予測できる 最近では全国の9割近い小学校で防犯ブザーが配られているという。犯罪が起こりそうな場所を記した地域安全マップが作成され、暗い路地には街灯、街角には監視カメラが並ぶ。犯罪防止の取り組みの機運は高まるが、著者はこうした防犯の「常識」を最近の研究成果を踏まえ、検証する。  「不審者に注意しましょう」と呼びかけても、子どもは不審者を見分けられず、防犯ブザーを押せない。実際、ブザーを鳴らした99.9%が誤報だった自治体もあるほど。暗闇では犯罪者も身動きがとれないため、街灯の明かりが逆に犯罪を誘発するケースもある。人通りが多いと意外にも犯罪のリスクは高まる。また、捕まらないと思い込んだ犯罪者に監視カメラは抑止力を全く持たない。犯罪者の立場で防犯活動を眺めることで、意外な弱点が浮き彫りになる。  防犯の議論は犯罪者の気質や動機に注目しがちだが、犯罪の機会をいかに街から消すかが重要であることを著者は強調する。防犯活動とは地域コミュニティの再構築そのものであるという視点が興味深い。
ニッポン定番メニュー事始め
ニッポン定番メニュー事始め カレー、餃子、コロッケ、オムライス、とんかつ、肉じゃが……どれも海外の料理を先人たちが日本人の舌に合うように改良したものだ。では、いつ、どのように「定番」化したのか。  こうした「食のルーツ」的な情報は、いまやネットで簡単に手に入る。しかしなかには、不確かな一次ソースが引用、複製、拡散され「通説」として定着したものもある。ゆえに著者は、愚直に明治・大正期の料理本などの文献にあたり、検証に検証を重ねていく。また著者は、「元祖」とされる店には一切取材していない。店が語る「物語」に引きずられるのを嫌ったからだ。結果、通説に一石を投じる発見も生まれている。冷やし中華は昭和12年、仙台の中華料理屋が発祥とされるが、すでに昭和4年に「冷蕎麦」として料理本に載っていたのだ。  本書は、食の本を読む楽しみも十分に提供している。すなわち読んでいて腹が減る。徹底した文献主義に則った丁寧で誠実な筆致は、日本が育んできた豊かな食文化のみならず、「ググればわかる」ことをあえて書籍化する意味をも浮かび上がらせる。
沈むフランシス
沈むフランシス 石器時代の古層と先住民族命名の地が広がる北海道東部。人口800人の山間の小さな村に女は、東京での一切を捨てて流れて来た。少女期に数年を道東で過ごした記憶、学生時代に短期滞在したことがある、それだけの縁で移住を決めたのだった。  臨時雇いの郵便配達人として暮らし始めた彼女と、村はずれの川辺に独り住み地域発電の水車を保守管理する男と。北国の四季を背景に、抗いがたく求め合うようになった、共に漂泊者の顔を持つ二人を描いた小説が本書である。  男は、オーディオマニアの世界では知られた音のコレクターでもあった。星空の静寂を含む森羅万象から音を採る。「音をちゃんと聴くために……フランシスと暮らしている」という。フランシスとは? 人間でもペットでもない。だが、35歳と38歳の濃密なセックスを時に中断させるイタズラもの。謎めいた気配を漂わせながら、危うく揺らぎ、そして深化していく恋を描く、2013年読売文学賞受賞作家の新作。結晶のまま降りてくる厳冬の地の雪を思わせる筆致が美しい。
安倍政権のネット戦略
安倍政権のネット戦略 本書は、第二次安倍内閣とネットを中心としたメディア戦略の関わりについて、月刊「創」の掲載記事をまとめたものだ。  ソーシャルメディア上の首相の発信に対する反応を組織的に分析、検証するなど、メディア対策に力を入れる安倍政権。本書の狙いはそうした取り組みの効果を功罪あわせて見てゆくことにある。興味深いのは、第一章で展開される津田大介氏×安田浩一氏×鈴木邦男氏の鼎談だ。ニコニコ動画に自民党のバナー広告を出したり、ネット上での党首討論を提案するなどして安倍政権が「ネット右翼」と呼ばれる層の支持を獲得する具体的な手法が解説される。ネット言論では戦後民主主義的な「良い子の」価値観よりも、憲法破棄のように「シンプルで力強いもの」がウケるという安田氏の見立てがわかりやすい。  自民党政権と民主党政権のメディア対応の違いや、ネット動画と政治との関わりにも話が及ぶ。ネットがこれからの政治に秘める可能性と危険性の両側面を教える教材として、支持政党にかかわらず一読の価値がある。
なぜヒトだけがいくつになっても異性を求めるのか
なぜヒトだけがいくつになっても異性を求めるのか 超高齢社会に突入し、老人の性生活はどうなっているのか。東京大学で医学部長まで務めた70代の著者が50代から90代の男女、約80人に聞き取り調査をした。「高齢者の高齢者による高齢者のための性生活読本」と言うべき一冊だ。  「78歳までは元気すぎて困るくらいでした」(80歳・男)、「外に女がいた主人とは、80歳のころまでありました」(84歳・女)、「セックスは週に一度くらいですね」(70歳・女)。聞き取り調査で明らかになるのは、性生活が高齢者にとっても不可欠だという意外な実態である。調査を受け本書の後半では、他の動物と異なり、体の仕組みや機能的に人だけが死ぬまで現役でいられることを最新の医学情報に基づき、解説する。  日本では戦後の高度成長期の「モーレツ」な働き方が家庭から性生活を駆逐してしまった。ただ、皮肉にも「失われた10年」の後の低迷でサラリーマンの働き方は転換点を迎え、ライフスタイルが見直されつつある。「死ぬまでセックス」は決して雑誌の煽り文句ではない。

特集special feature

    デモクラシーを〈まちづくり〉から始めよう
    デモクラシーを〈まちづくり〉から始めよう 人間が集団で暮らす「まち」はいかに治められるべきか。法や政治哲学などの視点から、原子力ムラや騒音おばさんといった具体例を交え、為政者や大企業に敵対するだけの「正義」もどきを小気味良く斬っていく。政府系金融機関で、まちづくりの実務に携わってきた著者ならではの説得力が全編にあふれる。  コミュニティを絶対的にいいものとする主張への批判も鋭い。人々の「緊密な関係(=仲良し)」にすべての解決を委ねる危うさを説き、見知らぬ者同士をつなげる方策を探る。  「まち」をつくるための政治を論じた後半では、米国のタウンミーティングを例に挙げ、関係者全員が一堂に会する「直接制デモクラシー」に期待をかける。小規模の住民を単位とした意思決定に、真の「自治」への希望を見いだすのだ。分譲マンションが、格好の舞台になる。そこで人々は、自分たちの選択に伴うリスクを引き受ける「気構え」を持ち「市民」となる。実現には私たちの意識変革が必須であろう。観念論に終わらず、めざすべき形を示したことに意義を感じる。
    首のたるみが気になるの
    首のたるみが気になるの 米国で130万部を売り上げたというエッセイ集。著者は「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」の監督・脚本を手がけたことで知られるロマンティック・コメディの名手だ。しかし、ふだんの彼女はどうもロマンスは苦手のようで、ずいぶんとコメディ寄りの人生を歩んでいる。  小物でぐちゃぐちゃになってしまう「ハンドバッグ問題」は、交通博物館で買った26ドルの「単なる袋」を使うことで解決、髪の毛のブローはサロン任せ。たまにロマンスの香りがしてきたな……と思っても「ケネディのホワイトハウスで働いた若い娘のなかで、大統領が手を出さなかったのは、どうやら私だけらしい」というオチが待っている。彼女の母が繰り返したという「すべてはネタなのよ」という言葉を遵守するかのようだ。  加齢による首のシワを気にして、老いを肯定する本に対し「この人たちに首はないのか? 首が隠れる服を探すのに苦労したことはないわけ?」と斬り捨てるくだりが堪らない。サバサバ、毒舌、ズボラ。しかし最高にチャーミングだ。
    ~果てしない孤独~ 独身・無職者のリアル
    ~果てしない孤独~ 独身・無職者のリアル 学生ではなく未婚で無業、家族以外に人付き合いがない──社会の中で孤立(ひきこもり)状態にあるそうした人々を専門用語で「SNEP(スネップ)」という。本書は、ひきこもり問題の研究者と現場支援に関わるNPO法人の理事が、SNEPについてまとめたものだ。  なじみのない言葉だが、事例を読むとSNEPという存在がぐっと身近に感じられる。公務員試験に6年連続で不採用となり、実家でひきこもるようになった青年。精神障害を患い私大職員を退職、実家で無業と契約社員などの仕事を繰り返す女性。SNEP増加の背景には、雇用の流動化にともない戦後の日本社会におけるつながりの中核を担った「学校・企業・家族」という三位一体モデルの崩壊がある。  事例は総じて、誰しもが最初からSNEPを望んでいた訳ではなく、ふとした失敗をきっかけに孤立を余儀なくされる現実を示唆する。孤立・無業が他人事の問題ではないことに気づけば、SNEPを「何とかしなければならない人たち」ではなく「社会のあり方について考えるきっかけ」と捉えるべきという著者らの指摘は重く響く。
    進化する魚型ロボットが僕らに教えてくれること
    進化する魚型ロボットが僕らに教えてくれること 海を泳ぐ魚の中で最高速を誇るカジキ。彼らはいかなる仕組みであの驚異的スピードを生み出すのか。カジキの背骨の生体力学を研究する生物学者が魚型ロボットを製作、ロボットを進化させ、その道筋から謎を解き明かそうとするユニークな研究である。  タドロと呼ばれるロボットは、遺伝子をプログラムしたコンピュータと推進力となる尻尾を備えたオタマジャクシ型。餌(実験では光源)を追わせ捕食者を放って、彼らの能力がどう変わるかを見るのだが、驚いたことに数世代を経ると餌を追う能力と、推進力を左右する尻尾の硬さにはっきりと変化が現れる。  ところが、途中で仮説とは正反対の予想外の結果が出るわ、実験の要となる脊椎骨の製作には四苦八苦するわ。ガックリ自信を失ったという人間的な心情を吐露していて、研究成果よりむしろ、ああでもないこうでもないと試行錯誤する実験過程が面白い。  また、すべてのロボット研究は軍事利用に行きつくとも書いている。「戦場で自己複製し、進化する大量のロボット兵」という不快な未来がすぐそこにあることに愕然。
    登頂 竹内洋岳
    登頂 竹内洋岳 日本人として初めて、8000メートル峰14座の完全登頂を成し遂げた登山家・竹内洋岳(ひろたか)の、記録達成までを描いたノンフィクション。13座目のチョー・オユーと14座目のダウラギリへの挑戦を、竹内への聞き書きと日記風ブログ、同行者の話で追いかける。  竹内は、13座目を目指すにあたり、ブログ上で経験不問のパートナーを募集。1回目は初顔合わせの3人で登る。体を少しずつ高度に順化させて登頂を試みるのだが、同行者がゲロを吐きつづける中で、竹内の強さが際立つ。彼は、大量の酸素をつかう筋肉をそぎ落とし、180センチ65キロの細身である。しかし肺活量、筋肉、心拍ともに人並みらしい。  1回目は断念。雪崩の斜面に踏みこんだ10歩が、竹内に痛恨の悔いとして残る。無酸素登山なので、サミットプッシュ時は酸素を消化に浪費できず、ザックには温かいポカリスエットとゼリー、カメラと衛星電話のみ。2度目は登頂後に道に迷い、ほぼ30時間歩きづめ。14座目でも下山ルートを見失い、ツェルトなしでうずくまって朝を待った。壮絶な闘いの後に爽快感がのこる。
    日本建築集中講義
    日本建築集中講義 おもしろ物件は見逃さない路上観察でおなじみ、建築家の藤森照信と、現代と過去が混在する個性的作品で知られる天才画家・山口晃が、法隆寺から昭和期の住宅・聴竹居(ちょうちくきょ)まで13の名建築を見学。脱線あり、妄想あり、愉快な対談と漫画エッセーで語る建築の魅力。  数寄屋造りの構造が世界的に珍しい理由、茶室の視覚的マジックなど、藤森氏の講義は実に興味深いが、学会的に「あまりに自由すぎる」と評判のセンセイ、すっ飛ばし方もハンパでない。かのジョサイア・コンドル設計の旧岩崎邸洋館を「いろいろやりすぎ」と一刀両断、「車を茶室にしよう」という走る茶室構想、吹き矢でヒヨドリを撃って野鳥の会と大ゲンカした話など爆笑の連続。山口画伯は師の暴走にオロオロしつつも、建物と自然のバランスや襖絵を美しく見せる設計の妙など、アートの視点から新鮮な発見をしている。  二人のボケとツッコミの掛け合いが絶品。建築そのものの良しあしにとどまらず、建築家の建築オタクぶり、使っていた人たちの日常のすったもんだまで見えてくるようなリアルな感覚がまっこと楽しい。

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