「新書の小径」に関する記事一覧

秀吉の出自と出世伝説
秀吉の出自と出世伝説
豊臣秀吉は家康なんかに比べて人気があるらしいのだ。確かに「今太閤」なんて言葉もあるが、今太閤って決していい意味じゃないよな。育ちは悪いが頭のいい男がずる賢く立ち回って大金を儲けて酒池肉林、最後には没落する、というような。それでも「愛嬌があって」「能力と気働きがあって」「こんな部下がいたら最高」というイメージが秀吉にはある。信長の草履をあっためたことから始めたとかいう太閤伝説もある。  しかし一方で朝鮮出兵だの豊臣秀次一家皆殺しとか、シャレにならない残虐な面がある。秀吉の実際はどうだったのか、なんでそういうことになったのかを論じたのが本書です。秀吉については伝説がいっぱいある。それを冷静に詳しく見ていくと……。  「コジキと見紛う貧乏から、図抜けた才覚でどんどん出世。機を見るに敏」なのは確かである。そして愛憎が深い。自分の(狭い範囲の)係累しか愛さない。自分の母親が産んだ、父親違いの弟が登場した時など、ただちに母親に確認する。母親はブルブルと首をふって「違う」と言い、言った瞬間にその「弟」を捕らえて目の前で首を斬る。私はどっちかというと秀吉のお母さんのほうがコワイと思ってしまうが、息子もじゅうぶんコワイ。  城を落とすと、男は首をはね、女は磔(はりつけ)、子供は串刺しにして国境に並べる。戦国時代とはいえ、当時の記録でも「こりゃひどい」ってことになってるようなので、相当なもののようだ。残虐といえば織田信長も名が高いが、どうも信長と秀吉の残虐さには違いがあるような気がする。秀吉の残虐さのほうがエロい。ぐへへへ……とヨダレ垂らしながら虐殺するイメージがある。というのも、私の頭の中には淀殿をはじめとして大量の女をはべらせたことがあるからだ。  上に行きたい人は多くても、自力でそれをハデに成し遂げた、っていうのは秀吉ぐらい。それをやれた秀吉は、運もあったが能力もすごくあった。そのこともこの本を読むとよくわかります。
新書の小径
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「余命3カ月」のウソ
「余命3カ月」のウソ
最近やたら近藤さんの本が出ているように思えるのですが、がん界に何かあったんだろうか。まあ、個人的に、近藤さんの新刊がたくさん出ているのはありがたい。  というのも、昨年暮れに生まれてはじめての人間ドックってものをやりまして、その後数カ月、体調が激悪となり、ほとほと疲れ果てたからです。子宮がん検診の内診のあとはいつまでもダラダラ痛みと出血が続き、バリウムを飲んでからずっとあの味が何かの拍子によみがえってムカムカした。これを毎年やるなんてはっきりと恐怖ですよ、人間ドック。  そんな時に近藤さんの本を読むと「もう行かなくていいんだー!」と叫べる。人間ドックで早期がんとかを発見できるかもしれないのでツラくてもやらないといけないかなあ……と弱気になっていたが、こうやって近藤さんがお墨付きをくれれば大声で叫べますとも! 「人間ドックはもう行かん!」。いえ、近藤さんが「人間ドック禁令」を出しているわけではないのです。もっと緻密な話をなさっている。マンモグラフィーは意味無しとか(私はマンモはそれほど苦でなかったので、これはちょっと残念)。本の眼目は「ほとんど自覚症状がなかったのにいきなり余命宣告された挙げ句、手術だ、抗がん剤だとやられて死んでしまう悲劇」をなくしたい、ということだ。そこには、放射線科医として長年がん治療の最前線にある近藤さんの、必死の訴えがある。  しかし、私みたいなだらけた人間には福音書みたいに読めてしまう。ちょっと太り気味のほうが実は長生きするとか、ツラい治療なんかいいことは一つもないとか、大人として耐えねばならない「養生や治療」なんかガマンしてやることない、と思えるからだ。最後に、がんになっても治療しないほうがいいという話を、つい「がんを治療しないと、がんにならない人よりも長生きする」ような錯覚をしてしまうが、やはりがんだと数年で死んだりするので、がんにはかからないに越したことはない。
がん新書の小径
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歌舞伎のぐるりノート
歌舞伎のぐるりノート
大人のたしなみとして歌舞伎を見ておいたほうがいいのか、と考えることがある。そこでまずはテレビの舞台中継など見て、ただちに挫折した。じゃあ、と新橋演舞場なんかに行くが、気づくと寝ていた。よく「あの華麗な空間で眠る、それこそが歌舞伎の楽しみのひとつ」と聞かされるが、高い切符代を払ってそれを目的にすることはない。じゃあ原作からと浄瑠璃本読んでみたり、歌舞伎役者の写真集見たりとか、いろいろやってみるもののどうにもダメ。  歌舞伎ブームって「歌舞伎が好き、ということを世間にアピールする」人が支えていて、内容が好きな人なんて本当はいないんじゃないか、と歌舞伎にハマれない人間はひがみの一つも言いたくなる。  中野翠が歌舞伎好きというからには「きれいな着物で南座へ顔見世を」なんてことはあろうわけはない。歌舞伎はドロドロしていて面白いものだ、と主張をしている。「グロテスク」という言葉がよく出てきて、今のこの世の中でもハッとさせる凄みみたいなものを、中野さんがこよなく愛しているのはよくわかる。中村歌右衛門の魅力にやられて、そこで出てくる描写が「奇妙なイキモノ」ですから。そしてとんでもない装束や化粧や所作を、奇妙だけれど粋で可愛くカッコイイものとして「愛でて」いる。ああ、いかにも中野翠らしい。  実のところ、これを読んでますます歌舞伎を敬遠する気持ちが強まった。「フツーの歌舞伎好きな方には顰蹙(ひんしゅく)買うかもしれないけど、こういうところが好きなんです」みたいに押し出されると、「人が見つけて通った抜け道は断じて通るまい」と思うような自意識過剰な人間にとっては「歌舞伎には近づかない、断じて」という気持ちをはっきり決めただけであった。しかし、そうした人ばかりではないので、こういう歌舞伎の愉しみ方があるのだ、と新たに歌舞伎を見てくれる人もいるであろう。……でも、やっぱり中野翠の筆致には「お前らにはわからん」という空気が少し、でも確実にあると思う。
新書の小径
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40代、職業・ロックミュージシャン
40代、職業・ロックミュージシャン
週刊アスキーの連載対談を一冊にまとめたものだが、連載中はちっとも面白いと思わなかったのに、こうして一冊になると心に染みいる。ロッカーの生きざまは「文学」に馴染みやすいからなのか。  ロッカーも年寄りになる。そんなことは海外のロックミュージシャンを見てもわかる。ニール・ヤングの落ち武者っぷりなどはある意味カッコいいが、レッド・ツェッペリンの面々などは見るも無惨、再結成ライブのために体を絞って、うわーカッコよくなったと思っても、よく見れば往時の美しさとはカケ離れた「カッコつけたおじいさん」だ。しかしそれも海外のロックミュージシャンであって、いわば「おとぎ話の中の人」みたいなもので、玉手箱あけておじいさんになった浦島太郎として鑑賞できる。  が、日本のロックミュージシャンは……。大槻ケンヂは、私なんかから見れば文筆で仕事してるし、今でもちゃんと名前をガンガン聞く人だが、こうやって20人以上の「40代のロックミュージシャン」と対談してるのを読んでいると「きつい商売なんだなあ」とシミジミ思わされる。対談相手の人選が絶妙だ。当時のバンド界でそれなりに活躍もして、武道館ライブとかもやっちゃってたが、今はもうすっかり名前も聞かず、ふと何かのはずみで思い出して「クニに帰って家業の畳屋を継ぐとかしてるんだろうか」などと想像したりするような、そういうミュージシャンがガン首揃えている。リンドバーグとかジュンスカとかいんぐりもんぐりとかすかんちとか。……まだみんなやってるんです。アル中治療中とか宿無しとか、まさに「ロックを地で行く生活」がセキララに語られるが、ただ「こりゃつらい生活だよな……」とこちらの気持ちもしおれていくようで、そのへんが実にリアルで良い。  でも、当人たちは「大槻くんも僕もホントにラッキーだもん」とか言い合っている。傍から見れば「まだロッカー業を続けている」こと自体がスゴイことなんですよ。
新書の小径
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羽生善治論 「天才」とは何か
羽生善治論 「天才」とは何か
“神武以来の天才”と言われた棋士の加藤一二三(ひふみ)が、羽生の“天才”を論じる、天才から見た天才論……という本ではない。もちろん羽生についても論じているが、これは「加藤一二三の“天才”を楽しむ本」です。  自身の“神武以来の天才”説についてマジメに論じる。自分のことを「天才」と言ったことはないが、正直に言えば思ったことはあるそうだ。ムズカシイ局面で好手、妙手を発見したときに「もしかしたら、自分は天才じゃないか……?」と。掛け値なしに、虚心坦懐に、謙虚に自分の将棋を見つめた結果、そう思ったという。  こうなると往々にしてイヤミな方向に行ってしまうものだが、そこは加藤さん、将棋棋士は天才業である、と言った大山十五世名人の言葉を引いて、トップ棋士は「『天才』と呼んでもさしつかえない」ので羽生も「天才」で間違いない、となって天才の範囲が広くなる。しかしそれで天才の安売り感はまったくなく、ますます「将棋の天才って、そのへんのヒトにはわからないほど大きいのだ」という気持ちにさせてしまうのだった。  加藤先生(と呼びたくなる)はとにかくマジメで、何か事がおきた時もそのことをまっすぐに見つめて、深く考え、すべて納得なさっているようだ。その納得は加藤先生の天才の頭の中でなされたもので、凡人にはわかりづらいところがある。でも、わからなくても「天才とはこうなのだ」とこちらもなんとなく納得したような気にさせられてしまう。対局で、二手連続で指して反則負けをした時のことを詳しく書いてらっしゃる。そのとき加藤先生は「どういうわけか現実感がなかった」そうで、その理由を「(対局相手の)森内(俊之)さんが着ていたモスグリーンの背広がその原因だった気がする」と言われてしまうのだから。でも私は納得した。  「加藤先生の加藤先生ぶりをおそれながら凡人が楽しませていただく」という、まさに天才鑑賞の書である。
新書の小径
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キャラ立ち民俗学
キャラ立ち民俗学
これは新書として発売してないかもしれませんが、大きさや厚さや手触りは新書なので新書カウントでいきます。前に「ちくまプリマー新書」が新書の新しい形(小説、マンガ、写真集などの方面への拡散)をつくるのではと思ったが案外広がってない。そっちが停滞しているうちに角川からこれが出た。そうか、こういうのもアリですよ。新書が「カネ儲けをしなければならない会社員にイヤイヤ」そして「定年オヤジに趣味の副読本として」読まれている中で、このタイプなら若者の活字好きカルチャー好きにアピールする。  しかし憧れますねえ、みうらじゅんには。いつか誰かが「大瀧詠一に憧れる。好きなことやって、仕事ほとんどしないで暮らしている。大瀧になりたい」と書いていたが、私はみうらじゅんになりたい。この人の、自分の趣味をかたちにしていく術はすごい。といっても錬金術というにはあまりにもささやかであり、本人もすまなそうに恥ずかしそうにしているので腹が立たない。世の中にたくさんいる「ちょっとズレた立ち位置でいい気になってる人」はみうらじゅんぐらいの術を体得してほしい。  と書きつつも、どう考えてもみうらさん、「ただ気になるものに夢中になってるだけ」ですね。好きなものは、性にまつわる神、即身仏、土偶、天狗、鍾乳洞、菊人形、ゴムヘビ。私も趣味がいくつかあって、仏像、道祖神、キリスト(ほか海外の超有名人)のなぜか日本にある墓など、みうらじゅんとまるかぶりだ。こういうのを先にやられた場合、「ちくしょーこっちのほうが先だ」となって怒りと妬みが炸裂するのに、みうらさん相手だと「しょうがない」と諦めがつくのだった。  この本で扱っているネタは、みうらさんの他の本で出たのもある。しかし使い回し感はなく、またかと思いながら喜んで読んでしまう。これはきっとみうらさんの人徳および文章力および画力によるものなので、他人はマネしてはいけないのである。
新書の小径
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藤原道長の日常生活
藤原道長の日常生活
藤原道長といえば「平安時代に出世を極めた男」だが、いったいどういう人なのか考えたこともなかった。光源氏のモデルという話もあった気がするが、ハンサムとかそういう方面のことは想像にも浮かばず。では、権謀術数を駆使する朝廷の実力者かといえば、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」なんていう和歌を大喜びで詠んじゃうあたりに、「地位大好きお金大好きオヤジ」的なものを感じ、ロマンが混入する余地はない。  道長は『御堂関白記』を書いていて、これは道長個人の備忘録である。道長は「わしが死んだらさっさと捨てろ」と遺言したらしいが、ずっと家宝として残され今は国宝。この日記を詳しく読んでいくと道長の日常生活がわかる、というのがこの本の眼目であります。なにしろ舞台が平安朝、教科書で知ってる人たちが実際に活躍していて、おまけに道長はすぐ感激して泣いたり、自分をホメていい気分になったり、何かといえば冗談を言ったりする。こんな起伏の激しい人がなんでこうまで出世したのかよくわからないのだが、「生まれがよくて育ちがよくて運がよくて人がいい」ことがきっと道長をここまでの存在にしたのであろう。少なくとも「コイツ、やなヤツだな」とは思わない。これは朝廷の中では重要なんじゃなかろうか。  しかし、やっぱり、どんなに読んでもロマンがないよ道長。よさそうな人なんだけど。私がもっぱら憧れたのは道長の奥さん倫子(りんし)。ダンナが道長で、自分はその正妻、ムスコは跡継ぎ、ムスメは長女彰子を筆頭につぎつぎ天皇家に輿入れ。そして90歳まで生きる。望月が欠けなかったのは奥さんのほうではなかろうか。いやいや、こういう人こそいろいろな懊悩(おうのう)を抱えていたに違いない……などと思ってみようとしたが、どうもダンナの道長同様、素直に楽しく元気に暮らしていたような感じなのだ。  うらやましい。日本の歴史上の人物で「いちばん入れ替わりたい」のは道長の妻、倫子です。
新書の小径
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ギリシャ神話は名画でわかる なぜ神々は好色になったのか
ギリシャ神話は名画でわかる なぜ神々は好色になったのか
ユピテルってのは扮装レイプ魔か。ギリシャ神話を絵にしたものが名画としてたくさん残っているが、それが神話のどの部分をどのように描いたのかがわからないと意味がさっぱりわからない。その絵解きをしましょう、ということでコッレッジョ、ティツィアーノ、ルーベンスなどの名画の内容を詳しく解説して、そして「ギリシャ神話の神々」の行状を教えてくれる本なんですが、とにかくユピテル! 姿を変えて女とやるわけです。姿を変えてるので女はやられてると気づかないうちにやられる、と。  有名なところでは、白鳥に姿を変えてやった、というのがあり、なんとなく「たいへん美しい話」のような気がしていたが、ここで紹介されている名画など見ていると、白鳥がやたら生々しい。ダ・ヴィンチの絵(「レーダと白鳥」)の白鳥なんか「目が好色オヤジ」である。ダ・ヴィンチといえば絵が上手い人だと思ってたが、この白鳥はヘビとか大人のオモチャとか、そういうものに近い。他にも、雲に化けるとか、金の雨に化けるとか、牛に化けるとか、あらゆるものに化けては人間界の女とやる。  ちなみに、ユピテルというのはラテン語読みで、これがギリシャ語だとゼウス、これはイメージとして「ヒゲもじゃの絶倫おやじ」的だが、英語読みだとジュピターであって、平原綾香の「Jupiter」という歌も、今後は何か違って聞こえてきそうだ。  ギリシャ神話など知らない私たちが、説明とともにこれらの絵を見るのはとても面白い。「すげえ世界があったもんだ」と感心する。神々には、それぞれ、シンボルになるようなものがあって、わかりやすいように絵にそれが描き加えられているのもいい。いきなり孔雀がいるとか、いきなり虹が出てるとか。そして、基本の神話本体に書かれてないことまで絵で描こうとしてしまう、その濃いつめこみぶりが楽しい。何よりも、エロな話題が満載なのがとても良いです。
新書の小径
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伊良部秀輝 野球を愛しすぎた男の真実
伊良部秀輝 野球を愛しすぎた男の真実
伊良部が自殺したというニュースを聞いた時は胸が痛かった。とても可哀相な気がした。『かわいそうなぞう』や『ないたあかおに』を読んだ時のような。伊良部の代理人だった団野村が、誤解され続けの人生を送った伊良部のことを「ほんとはこんなにいいやつだったんだ」という気持ちで書いたこの本を読んで、「ほんとにいいやつだったんだ」と思わされる。  伊良部は、不器用で心優しい、野球の大好きな、曲がったことの大嫌いな人だ。こういう人は生きづらい。いろいろタイヘンだろうと思う。しかし、こういう人の周りにはたまに「人生を捨てても肩入れしてしまう」人が湧いて出てきたりして、その人に迷惑をかけながらやりたいことやって長生きしたりする……といって思い出すのが勝新太郎だが。伊良部だって、その才能からいけば、勝新がやりたい放題したぐらいの人生でもよかったはずなのだ。しかし、そうはならなかった。何かやろうとしてはつまずき、悪いほうに思いつめて、ひとりで死を選んでしまった。  団さんも、伊良部のことは大好きだと書いている。彼のどこがどんなふうに素晴らしいかを切々と綴っている。でも、のめりこむところまでいかない。そりゃそうだ。人は、ひとりの男に人生を賭けるわけにはいかない。自分だって生きて、家族を養っていかなければならない。自分が生きていくこと、眠かったり空腹だったり、楽しんだりすること、そのほうが伊良部よりも大切だ。人間とはそういうもので、世間というのはそういう人たちが織りなす「薄い関係」によって成り立っている。いつまでも野球の話をやめない伊良部に困って、トイレに立った時「いつもどうやって話を切り上げるの?」と言ったというイチローのほうが「ふつう」である。  そんな世間の中で伊良部みたいな人が孤独になってしまうのはしみじみわかる。そしてそんな伊良部を可哀相に思う自分も、伊良部には「ふつう」にしか対応できなかっただろう。
新書の小径
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ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」
ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」
「ならず者の最後の逃げ場が愛国」なんてセリフがありましたが、コリアンタウンで「チョーセン死ね!」とか言ってる在特会など見てると「まさにソレだ」と思う。私も「和食より韓国料理のほうが旨い」と言ったら「半島へ帰れ」と言われた。帰れと言われても。  自分が気に入らないことを言う相手はすべて「韓国朝鮮在日認定」。それで聞くに堪えないようなヘイトスピーチを繰り返す。冷静に考えて「マトモではない」。どんな時代でもそういう層は表面に湧きだしてくるだろうが、やはり「いったいなぜそんなことに」という気持ちは抑えられないもので、本書の共著者である安田浩一の『ネットと愛国』などは、そういう気持ちを晴らしてくれる素晴らしい書であった。  この本は「ネット右翼」をバカにする本だ。知性もなく、ついでに職もカネもなく、一対一になったらいきなり弱っちくなるような、救いようのない小物、それがネット右翼であり、ああいう連中に在日認定されちゃってオレたちもタイヘンだねワハハハ、というような。  でも、どうも複雑な気分にさせられる。この対応(間違った行動を取る人をバカにする)は私もよくするし相手を貶めるために効果的と思ってきたし、議論にケリをつけるにはいい方法だ。しかし、こうやって自分以外の人がやってるのを見ると、逆効果なんではないかと思わされる。妙案も思いつかないが、貧乏でバカな人に向かって「おまえバーカ」と言ってるのが自分陣営の人だと思うと、居心地が悪いのである。  ことにこの本における、中川淳一郎の、バカに対する上から目線は「やっぱり博報堂なんか入れる人はこうなるのか」という偏見が起きる。  お料理ブログなんかをやってる奥さんとかがたまに嫌韓的なことを書いたりするのを見ると異様にコワイ。そういう奥さんたちは、こうやってバカにされて考えを改めるか。そのへんが私にはどうにもわからない。
新書の小径
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キュレーション 知と感性を揺さぶる力
キュレーション 知と感性を揺さぶる力
この本の「言いたいこと」とはほとんど関係ない部分への感想なんだが、アメリカのアーティストでマシュー・バーニーさんという人が出てくる。この人はイェール大医学部卒で、フットボールの特待生で、モデルで、サンフランシスコ近代美術館で史上最年少の展覧会が開かれた天才。パートナーはビョークだそう。で、日本でこういう人はいるか、と考えて思いついたのが伊勢谷友介。芸大出のモデル。ビョークに相当するのは広末涼子か(広末とはさっさと別れてたが)。だが、このスケールの小ささ。やはり戦争に負けるわけだな、と思わされる。  ここで言及されるアートは「絵」や「彫刻」のようなわかりやすいものじゃなく「インスタレーション」とかなので、文章と、説明写真一枚ぐらいだと、かえって想像がふくらんで「すごいものなんじゃないか」と思える。そのような「アート紹介文」がいっぱいでとにかく面白く、繰り返し読んでしまう。ちなみにマシューさんのアートについては、ネットで調べてもう少し詳しいものを見たらけっこうガッカリした。想像のほうがよかった。ピピロッティ・リストさんの映像作品は“女性用のポルノビデオ”じゃないかとまで言われるアートらしいので見たくてしょうがないが、ネットでは見つけられなかった。しかしこれは説明文を読んで、自分にはエロの役に立たんなーと思った。  さて、ちょっと前は「青年実業家」「IT企業」というあたりが「うさんくさい商売」とされていたが、現在私の思う「うさんくさい肩書」が「オーガナイザー」と「キュレーター」だ。本書で仕事の内容はよくわかった。でも「展覧会の企画プロデューサー」でいいじゃん別に。  「共犯者として、共同生産者として」などという章サブタイトルには後ずさりしたくなる。帯に著者の顔写真がデカく出ていて、それはキュレーション的にいってどうなのか。私は「まずい」と思うのだが。
新書の小径
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7大企業を動かす宗教哲学
7大企業を動かす宗教哲学
どうも大企業の社長というと、へんな新興宗教にはまって社員を神社詣でさせるとか、そういう偏見があったので、新宗教に詳しい島田裕巳がそういうのを斬りまくってくれるのだとばかり思ったが、そんなことはなかった。トヨタ自動車や松下電器産業やユニクロなど本書に登場する世界の大企業は、さすがにそんなへんなことはないようなのであった。  ここで言われているのは、宗教といっても、ほとんど「企業の理念」みたいなものである。サントリーの創業者である鳥井信治郎はたいへん信心深かったという話があり、以前、そこの長男のヨメさんになった小林一三の娘がインタビューで「結婚したら毎日お経あげさせられて写経させられて」という生活のタイヘンさを語っていたのを思い出した。それはどちらかといえば「昔ながらの信心深いお爺さん」的な行動で、商売を大きくするために宗教を利用するのとは違う。きちんとした生活をしてきちんとした仕事をする、という性格が、きちんと身近にある神仏を祀る、という行動になっただけにしか見えない。他の社長さんたちの“信仰”も、期待したようなトンデモナイものはなく、それが「こう、単に信心深いみたいな信仰心だけが出てくると、“きちんとした信心深さ”が成功につながるみたいな結論になってイヤだな」と思わせられる。そこまで深読みすることもないのだろうが。  私が心をひかれた唯一の社長がダイエーの中内功(いさお)で、この本の中になぜこの人が選ばれたのかさっぱりわからなかった。「神様より生きてる人間。そのために商売商売」という人である。そして、計算がぜんぜんできない人だった、という話も書いてあって、私などは「あの中内さんが計算できない男だったとは!」と感動し、でも計算できなくても社長じゃんかと鼻白むも、計算ができない人だったんで最後は私財ぜんぶなくすハメになったなどと聞くと、「社長には珍しい一貫した生き方」だと讃える気持ちになった。
新書の小径
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この話題を考える
人生の後半戦こそ大冒険できる

人生の後半戦こそ大冒険できる

「人生100年時代」――。「20歳前後まで教育を受け、65歳まで働き、その後は引退して余生を楽しむ」といった3ステージの人生は、すでに過去のものになりつつあります。だからこそ、大人になってから人生後半戦にむけての第2エンジンに着火したい。AERAでは10月28日発売号(11月4日号)で特集しています。

50代からの挑戦
お金持ちの正体

お金持ちの正体

お金持ちが増えている。民間シンクタンクの調査では、資産が1億円以上の富裕層はこの10年以上、右肩上がりで、いまでは150万世帯に迫る勢いだ。いったいどんな人たちがお金持ちになっているのか。AERAでは10月21日発売号(10月28日号)で特集します。

お金持ちの正体
人気企業に強い大学

人気企業に強い大学

今春の各大学の就職状況が明らかになった。人口減による「売り手市場」が続く中、学生たちは大手企業にチャンスを見出し、安定志向が鮮明になった。「AERA10月21日号」では、2024年主要大学の大学生が、人気企業110社に就職した人数を表にまとめて掲載。官僚離れが進む東大生が選ぶ企業、理系女子が強い業界、人気企業の採用担当者インタビューまで最新の就職事情を余すことなくお伝えします。

就職に強い大学
ファミリーレストラン 「外食」の近現代史
ファミリーレストラン 「外食」の近現代史
読んでいてひたすら懐かしい。小学生の頃にうちの近所(武蔵野市中町)に「すかいらーく」ができて、当時はそこに行って「ハンバーグを食べる」のは「レストランでお食事」並みにハレの行事だったよ! (ただし、その近所の「すかいらーく」は「すかいらーく1号店で発祥の地だ!」と信じられていたのだが、この本を読むとぜんぜん違う。釈然としない)  ファミレスが日本にここまで根づくまでを、明治維新以降から説き起こして書いてある。えー? ファミレスって昭和40年代のもんじゃないの?と思うでしょう。確かにそれはそうなんだが、「家族が楽しむために行く外食」ってものがそもそも明治維新以前にはほとんどなかった、と書かれるとけっこう目からウロコ。「家族で楽しく外食」の例として森鴎外が挙げられていて、茉莉だの杏奴だのがたしか「パッパと一緒に食べたアイスクリイム」「パッパと一緒に精養軒」とか書いていた。「なんだこのマイホームパパぶりは」と思ったけど、それは「当時、珍しかった」からなんだな。  今、親も子供もバラバラに暮らしてる中で「ファミレスに家族で行く(たとえそれぞれがケータイ見てたとしても)」のは「家族の特別な団らん」てことになるわけか。昔の「デパートの大食堂」の位置がぐーんと下がって、いまはそれがファミレスになっているのだ。ロイヤルホストが「日本で最初のファミレス」であり、九州発祥の会社なので九州の人にとってロイホはファミレスの中でも一段上であるとか、デニーズは最初はもっとアメリカンな店だったとか、ファミレス知識はきっちり増やせる。  著者の今柊二って、定食の本をいっぱい出している。今さんは「定食(ご飯、味噌汁、おかず、小鉢。メインはアジフライやハンバーグ)」が好きで、定食であれば58点ぐらいでも満足しちゃう人なのだ。私も定食でありさえすれば65点でも満足できる。今さんが嬉しそうにファミレスのセットを食べる様子を読めるのが嬉しい。
新書の小径
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信長の城
信長の城
戦国における織田信長の築城について書いた本で、最初のほうは地形の話やら遺跡の石垣の話やらで学問ぽく、それも面白いんだけれど途中から岐阜城の話になって、それがもうたいへんな衝撃だった。  岐阜城は金華山にある山城で、ロープウェーで上ったら天守閣跡がある。ああ金華山頂に天守閣ね、としか思ってなかったんだけど、実体はそんなもんじゃない。たいへんな城なんですよ! 山のふもとから城が続いているのだが、客とはそのふもとの御殿で会う。ふつうの客はそこから上には行けなくなっていて、つまり一番上に信長のプライベートスペースがある。奥さんや側室や子供と、ごく少数の選ばれた部下しか入れない。その中間に、いろんな武将の息子の少年たちが、上と下との連絡役やその他使い走りとして100人ぐらいはいる広間がある。ルイス・フロイスが信長のプライベートスペースに招いてもらい、窓から外を見ると眼下に美濃と尾張が一望できる絶景が広がっていたという記録を残している。金屏風が立てめぐらされた美しい部屋で、西洋を知ってるフロイスもびっくりの壮麗な館。そこに信長が自ら食事の膳を持ってきてくれたそうだ。  考えてみてほしい。金華山の頂上ってけっこうな高さだ。今だってロープウェーでなきゃ上る気にもなれない。それが、ふもとから山頂まで城が続いていたなんてすごい! 筒井康隆の短編に「遠い座敷」という、山の上と下の家が座敷によって階段状に続いていてそこを下りていく少年を描いたのがあるが、まさにソレではないか! それにしても、下に来た客人が上まで通されるとなった時に、ひと苦労なんではなかろうか。上にいる奥さんとか側室は、いったん上がったら下りるのはイヤだろうなあ。  しかしふと考えると、山の上でごくプライベートな豪壮な暮らしって、六本木ヒルズの上階に住むIT成金の趣味と変わるところはないような……。まあしかし、スケールは大きい男だ、織田信長。
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大原孫三郎 善意と戦略の経営者
大原孫三郎 善意と戦略の経営者
この本、近所の本屋でやたらよく売れている。うちは広島で大原さんといえば倉敷なので、ご近所の人を描いた本だからかもしれない。が、これは地域限定の本ではなくて「昔の偉人」の丁寧な伝記なので、どこに住んでる人にも面白いはずだ。  大原美術館の創始者である大原孫三郎。もともと金持ちの息子で、学生時代は放蕩で大借金背負ったりしたが金持ちなのでそこはやりすごし、そのことを深く反省して良心的経営者の道を進んだ人である……というのは大原美術館を見てるとなんとなくわかる。あそこは、金持ちが金にあかせて名画を買いあさった感じが不思議とないんだよな。  読んでいると、ほんとに、ちゃんとした人なんだ大原孫三郎。この人が設立した倉紡中央病院についても詳しく述べられている。倉敷紡績社員のためだけではなく、地域のために東洋一の病院にすべく、院内に温室をつくるとか「病院くさくない」明るく美しい病院にしようとした。どんな患者も平等に診察し「患者からの一切の心付けを禁じる」とか。  これ大正時代ですよ。今だって「理想的な病院をつくろう」としたら同じようなスローガンになるんじゃないか。大原さんの先を行った考え方の素晴らしさがよくわかる。その伝統を今に伝えていて、現在倉敷中央病院となっても院内にはケーキを売るショップがあるそうで、そのケーキが私にはとても気になる。ヘルシーなケーキとかなのだろうか。  というようなことは、大原孫三郎とは関係がないわけだが、とにかく「良心的な金持ちもちゃんと日本にいたのだ」という安心感を与えてもらえる。だが……こういう話を読んでいると常につきまとうのが、けっきょく金持ちは金持ちのままいい暮らしをしている、という思いで……そこはどうしてもぬぐい去れない。「しょせん財産全部投げ出す気はないワケね」という諦めの境地になり、金持ちは敵という気持ちはなくならない。
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仲代達矢が語る 日本映画黄金時代
仲代達矢が語る 日本映画黄金時代
映画「人間の條件」は昔、正月の昼間にテレビで一挙放映をしていて、ラスト30分ぐらいを見たが、そこだけで圧倒された。シベリアの雪の中に倒れて死んでいく、目玉ばかりぎょろぎょろした仲代達矢。倒れた上に雪が積もっていく。その顔が頭に焼きついちゃって「どういう話だかさっぱりわからないがこの映画はすごい」ということばかりが記憶に残っている。  この本で仲代達矢が語ったところによれば、あの映画は撮るのも命がけで、私が忘れられないあの雪のラストシーンも、発泡スチロールの雪じゃなく、北海道の原野で零下十何度の真冬に、雪の上に倒れて雪が降って埋もれるまでずっとそのままでいた。手足がしびれてきて、しまいには「気持ちよくなってきちゃいまして」って、そこまでやる意味はあるのかと言いたいぐらいの力の入れようで製作されたわけだ。  まあ、仲代さんが語る「日本映画」ってのは「小林正樹に山本薩夫に黒澤明に岡本喜八に成瀬巳喜男に……」と、映画がものすごく崇め奉られ、かつ求められ、かつ愛されていた時代のものである。俳優たちもまた、性格や行動がとんでもなくても、いざ撮られる段になればとてつもない存在感を発揮してしまう。そういう俳優が、イコール人気者であった幸せな時代だったのだ。仲代さんが言ってるのは、「今みたく人気があるからとりあえず出そう」みたいなことはありえなかったし、金も時間もかけずに手軽につくってるから監督も演出家も俳優もシロートなのにでかい顔をする、……ってことは、ほかにも今の映画監督に言いたいこといっぱいあるんだろうなあ仲代さん。名指しで悪口とか言ってくれれば面白いのに。でも、そういうことは言わないタイプの人なんですね仲代達矢。  そんな仲代さんが語る役者仲間の思い出話は、丹波哲郎のものが読んでいて心に残った。勝新太郎と同様ちょっと困った人だけど、困り度合いはあそこまでではなく、何か可愛い。
新書の小径
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阪神タイガース 暗黒時代再び
阪神タイガース 暗黒時代再び
ノムさん著『プロ野球重大事件誰も知らない“あの真相”』はタイトル倒れでつまんなかったがこっちは面白い。いやー、やっぱノムさんはいいですね。目次を見ると「ベテランの活かし方」とか「阪神タイガースへの提言」とか、見飽きたような章タイトルがある。が、読んでみるといい意味で裏切られる。  ノムさんが阪神監督に就任してからの、球団内部およびとりまくOBやマスコミとの間に生じた恨みつらみが、じっとりと吐き出されている。「ワシはうまくいかなかった……」という湿気たっぷりのボヤキが主となり、ボヤく原因となった相手についてねっとりと恨みを開陳する。最初からボタンの掛け違いがあった今岡誠と、最後までわかり合うことができなかった……という話を、ジメつかせながらもサラリとしてみせる。成長させようとして非難したが、今岡は怠慢プレーを続ける。そして「ついに私の真意が伝わることはなかった」とちょっと悔いてみせるようなフリをして、その話を終わらせるのだ。今岡とそこまでうまくいってなかったのか、ノムさん。でもそのサラリとした終わり方が、かえって「いったい今岡は何が気に入らなかったのか」と読者の心をあとあとまで引っぱる。「今岡ってのはそういう頑ななヤツか」という怒りすらわき上がる。今岡の言い分を聞いてみたい。  もちろん自慢話もあり、素質しかなかった井川を発見してエースに育てた。しかし大リーグでの非活躍ぶりが知れ渡っているので、あまり「いい気な自慢話」に聞こえないのも人徳のなせるわざか。どんなチームでも「うちは虹色!」なんてことはなく、暗黒なのもタイガースだけじゃないが、ノムさんの口調で語られるとほんとうに真っ黒に思えてくる。少なくとも巨人の体制よりはダメなのは確かっぽい。でも阪神の真っ暗よりノムさんのジメジメな口調のほうが頭に残るので、それほど危機感をもたないですみ、阪神ファンには有り難い本です。
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至高の日本ジャズ全史
至高の日本ジャズ全史
ジャズを知れば洒落者になれる気がしてジャズ関連本をいくら読んでもジャズはわからない。頭に入ってこない。マイルスの本なんか何冊読んだことか。全部ムダ。でも、この本は登場人物がなじみ深い日本人なので、内容がスルスル入ってくる。  大正初期にアメリカでジャズバンドが登場して数年で、日本人によるジャズが日本で演奏されたというのには驚いたし、昔から謎だった「秋吉敏子」という人もどんな来歴なのかやっとわかった。ナベサダという人は、気がついた時からもうジャズの大物であったが、彼がいかにしてそういう立場になったのかもわかった。その他たくさんの人が、日本のジャズ界出身だったと知って驚いた。原信夫とか小野満って、歌謡曲のバックバンドの人(ダン池田みたいな)かと思ってたら、ジャズミュージシャンなのか。クレージーキャッツやフランキー堺もジャズバンドから出てきた。  日本の芸能界における肥沃な農園みたいなものか、ジャズ界は。芸能界だけでなく、後のノイズとかパンクとかエレクトロニカの分野にも、ジャズの人がたくさんいたのだった。何にも知りませんでした。  というような知識を得られるのも面白いが、もっと面白いのは、著者の相倉さんがプレイヤーでもないのに、戦後のジャズシーンができあがる渦中で言いたいことを言って、やりたいことをやっていた、というたいへんにうらやましい立場であったことだ。私が当時ジャズのファンだったら、相倉さんをものすごく嫉妬したろうなあ。何者やねん、あいつばっかり、と。  しかし、そういう立場の人だからこそ書ける生々しい話が満載で、これもジャズファンが見れば一種の自慢話で腹立ちモノなんだろうけれど、私はジャズを好きになりたいだけの者なので楽しく読めていいのである。でも問題は、この本を読んだらある種の満足をしてしまい、ジャズを聴く気持ちがなくなってしまうことだ。いつかジャズがわかる日は来るのだろうか。
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