実際は日本の一部にしか当てはまらない知識を、あたかも国民全体の常識としてとらえてはいないか──日本民俗学の祖である柳田國男は、大正末期、自戒の念をこめてこんな警鐘を鳴らした。書物を読むだけでなく、研究者も自分の足で歩いて探求しろと。

 日本の政治思想史を専門とする原武史は、柳田にならって歩き、それぞれの地形と思想の関わりを探って『地形の思想史』を著した。

 原が訪ねたのは、奥浜名湖の岬、奥多摩の峠、瀬戸内海の島、富士山麓、東京湾沿岸、相武台、大隅半島の7カ所だった。かつてそこで過ごした人々がいかなる思いを抱いたか、各地の地形の影響を体感しながら、原は考察する。

 たとえば、現在の上皇にとって、皇太子時代に子どもたちと夏を過ごした奥浜名湖の岬は、御用邸とは違って政治やマスコミを近づけない、核家族にふさわしい空間だったのではないか。しかし、浜名湖で水泳を楽しむ男子だった今上天皇が、皇太子のときにここで過ごすことはなかった。

 現地に立った原は、そこに少子高齢化という時代性を実感し、<「岬」に皇太子のファミリーが集う時代は、核家族の形態が変化するとともに終わったのである>と記した。

 さて、今年は5G元年となり、ヴァーチャル体験の精度も飛躍的に向上すると喧伝されている。行った気になり、やった気になり、わかった気になるサービスの拡充だが、だからこそ、と私は思う。研究者ではなくとも、原や柳田のように興味ある土地へはぜひ足を運び、予想外の何ものかに遭遇して驚き、体感し、困惑し、そしてあれこれ考える幸福な旅をしたいと。

週刊朝日  2020年2月7日号