昭和の少年たちにとって、プラモデルは何よりも身近な玩具だった。1958年、日本が石油化学工業を中心とした産業構造に転換する時期に、木製、陶製、紙製などのオモチャにとってかわる形で誕生した国産のプラスチックモデル。小林昇『日本プラモデル六〇年史』は、それから今日までの60年を俯瞰した興味深い一冊だ。

 国産のプラモデルが生まれた時代は、テレビの草創期であり、また「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」といった少年週刊誌の創刊ラッシュの時期だった。当時、テレビアニメや少年雑誌の戦記物マンガと連動する形で売れたのが、零戦や戦艦大和のプラモである。プラモデルの代名詞ともいえるタミヤやハセガワら静岡県のメーカーが参入したのは60年前後。人気挿絵画家・小松崎茂の絵を箱に用いたタミヤのパンサータンクは大ヒットとなった。

 プラモデルの歴史なんて考えたこともなかったが、おもしろいのは一時のブームが去り業界が危機に襲われるたびに、次なるヒット商品が必ず出てくることである。60年代後半の「サンダーバード」と「怪獣もの」。「ガンプラ」なる言葉を生んだ80年代のガンダムシリーズ。80年代後半になると、F1グランプリのブームもからんだ「ミニ四駆」が一世を風靡する。プラモデルと聞いて何を思い出すか。<零戦、大和か。それともスーパーカー、ガンダムか。思い浮かべるものによって、だいたいその人が何歳ぐらいか想像できる>のもむべなるかなだ。

 しかし、やっぱり気になります。では今般のプラモ事情はどうなのか。昭和の子どもたちの通過儀礼がプラモデルなら、平成生まれの子どもたちの通過儀礼はテレビゲーム。これはもう致し方ない現象だろう。それでも美少女系のフィギュアや食玩などの新ジャンルを切り開いてきたプラモ業界。

<日本のモノづくりの伝統は、プラモデルを作ることから始まるんだと声を大にしていいたいですね>とはタミヤの田宮俊作社長の言葉である。そうかもしれない。何かしみじみとしてしまった。

週刊朝日  2019年2月8日号