安倍政権は、憲法を変えるためなら、なりふりかまわぬようだ。もはや何かのために憲法を変えるというより、改憲そのものが自己目的化している。ほかにやるべきことはたくさんあるのに。
これは危ういと感じている人が半藤一利の『語り継ぐこの国のかたち』を手に取っている。半藤はベストセラー『昭和史』をはじめ多くの著書で日本近代史を点検してきた。何が日本を破滅に追いやったのか、軍部の暴走を許したのは何なのか、この歴史探偵は暴いてきた。
『語り継ぐこの国のかたち』には半藤歴史観のエッセンスが詰まっている。さまざまな新聞や雑誌、書籍に寄稿した文章がもとになっていて、それぞれ加筆され改題されているが、各章に通底しているのは時代への危機感だ。
あとがきで半藤はいう。
<かつての日本の軍部や政治家が天皇の名をかりてほしいままに国政を動かしたように、いまの日本のトップにある人もだれかの名をかりて負ぶさって勝手にふるまい、戦後七十年余、営々として築いてきた議会制民主主義そして平和を希求する国民の願いをなきものにしようとしている>
書名にある「この国のかたち」は司馬遼太郎のエッセイの題名。司馬は86年から亡くなる96年までの10年、この歴史随筆を書き続けた。司馬の遺志を半藤が継ぐ。
司馬は、戦前の軍部と日本が暴走した鍵は「統帥権」だと突き止めた。つまり軍隊の指揮権を天皇に持たせ、議会も憲法も軍部を止められないようにしてしまった。
国の暴走を止めるのが憲法である。簡単に変えてはいけないのだ。
※週刊朝日 2018年11月16日号