「グローバル経済」という言葉をよく耳にするようになったのは1990年代だった。国境を超えて利益のみを追求するグローバル企業が跋扈(ばっこ)し、彼らは自国はもとより市場になると見こんだ国の法律にまで圧力をかけてきた。この20余年、「規制緩和」や「市場開放」なる美名の下に日本に起きた変化の裏側にも、外国の企業や政府の欲望がべったりと貼りついている。堤未果の『日本が売られる』を読むと、その実態がよくわかる。

 第1章で堤は、米国、EU、中国などの要求に応じて日本の公的資産(水、土、種子、農地、森、海など)が売られていく状況を紹介。たとえば、諸外国で悲惨な結果を招いた水道の民営化がどんな目的と手続きによって進行したか記し、外圧とそれに対応する日本側の内実を明らかにしてみせる。さらに第2章では、日本人の未来に関わる画策を取りあげ、文字どおり「売国」と呼べる状況が現在も続いていることを訴えている。

 グローバル企業とそれを支援する政治の根底には、堤が指摘するように、<今だけカネだけ自分だけ>という強欲資本主義が定着している。利益になるなら、彼らは地下水であれ遺伝子であれ二酸化炭素であれ、何もかもに値段をつけて取引する。そして、「日本を世界一ビジネスのしやすい国にする」と明言した安倍首相の下、日本政府は粛々と彼らの要求に応じてみせる。

 堤の警告の書はどこを読んでも空恐ろしい。しかし、対策はある。堤は第3章で、売られたものを取り返そうとする諸外国の事例を紹介している。消費者から市民になれるか──問われているのは、私たちだ。

週刊朝日  2018年11月9日号