1974年の夏、『かもめのジョナサン』の日本語版が発売されたとき、私は中学2年生だった。アメリカで大ベストセラーになっている物語を当代一の人気作家、五木寛之が“創訳(創作翻訳)”したとあって注目され、日本でもベストセラーになった。どういう経緯で手にとったかは覚えてないが、その本を読んだ当時の私の印象は、「やたらとカモメの写真が多い」だった。
 あれから40年が過ぎ、三章構成だった前作に第四章を追加した完成版が登場した。
 捕食のためではなく「よりよく飛ぶ」ことに専念するために群れを離れ、飛行技術を磨きつづけるジョナサン。この孤高のカモメはやがてさらなる高みへと飛翔し、そこで出会った先達から、<完全なるものは、限界をもたぬ。完全なるスピードとは、よいか、それはすなわち、即そこに在る、ということなのだ>と説かれる。この教えに従って努力を重ねたジョナサンがついに瞬間移動を修得すると、師匠は、<もっと他人を愛することを学ぶことだ>と告げていなくなる。残されたジョナサンは意を決して以前いた海岸にもどり、若き後輩たちを指導。技術だけでなく、自由を求める精神の貴さも伝えて虚空へと消え去る……。
 まさか再読するとは思わなかった三章までの内容をざっと記してみたが、ここまで自己啓発的な寓話だったことに驚いた。完成版に収録されている旧版のあとがきで、<私たち人間はなぜこのような《群れ》を低く見る物語を愛するのだろうか>と五木は書いている。実際、ここにあるのは、自由や愛の意味が上意下達の手法で伝道されていく物語だ。だから、いつしかジョナサンはカモメたちの伝説となり、必然的に神格化されることになる。
 全世界で4千万部売り上げた物語に新たに加わった最終章は、実は最初から書かれていたらしい。あいかわらずカモメの写真が多いこの本を読んで、私の違和感はずいぶん軽くなった。

週刊朝日 2014年8月8日号