■ヘアカラーの概念が変わった日

 初めてカラーのスペシャリストを目の前にし、高い技術力、そして彼らのカラーリストとしてのプライドを目の当たりにした岩上さん。パーマとカラーは同時に施術させない、客にケア方法を指示するなどカラーリスト主導のカウンセリングに驚かされた。当時の日本では、客の要望に合わせて施術するのが当たり前だが、彼らにとって最も重要だったのは「この髪にいかに美しくヘアカラーを施すか」ということだった。

「これがプロフェッショナルなんだ」

 岩上さんはそう感じ、カラーリストになると心を決めた。

 kakimoto armsはカラーリストとスタイリストを分業し、それぞれの専門性を高める「スペシャリスト制」を導入した。そして95年、ついにカラー専門店(現自由が丘クレオ店)をオープンさせた。しかしどんなに技術を磨いたとしても、待てど暮らせど客は来なかった。しかも社長からの指示で、仕事がなくてもカラー以外の仕事をすることは禁止されていたため、他のスタッフからの風当たりは日に日に強くなるばかりだった。

 そんな日々が半年続いたのち、転機が訪れた。岩上さんが田園調布店でウィービングをしていた時のことだ。その頃、クレオ店ではカラーの注文が少なく、他店舗に出向いてカラーを行うことがほとんどだった。岩上さんがウィービングをする様子を見て「私もあのカラーをやってみたい」と、フロアにいる人から注文が相次いだのだ。

「スピーディーに、規則正しくアルミホイルが折りたたまれていく様子を見て、『すごいテクニックだ』って感じてもらえたんだと思います。地毛より2レベル明るいハイライトを入れることで、髪に毛流れが出たり、硬い髪が柔らかくつやっぽく見えたり。ナチュラルだけど髪が美しく見える仕上がりに、どの方もとてもよろこんでくれました。田園調布のお客様は海外と関わる仕事をされている方も多く、インテリジェンスな方たちも多かった。そんな方々にフィットしたんだと思います」(岩上さん)

 技術だけでなく、カウンセリングも功を奏した。一見、同じ黒に見える瞳や地毛の色は、人によってそれぞれ。その違いによって、似合う色や明るさも異なる。そのことを伝えると「私に似合うカラーをしてほしい」と、さらにオーダーが入った。一人ひとりに合わせたオーダーメードのヘアカラーは、人が人を呼び、客数はその翌月に3倍、3カ月後にはその3倍と急増した。1年後には全店舗にカラーリストを置くことが決まった。

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