月例コンテストのスナップ作品を見ていると、応募者が自分なりの内容を考えて写していることはわかります。でも、そのほとんどは引っかかってこない。うまいんだけれど、選びきれない。

 面白いスナップ写真って何?というときに、何かいい形になっているとか、並んでいるとか、右と左がどうとか、手前と奥がどのような構図になっているかとか、あるいは「出来事」として、何か面白いお話が成立しなければスナップ写真じゃない、という考え方をしている人が多いのです。
 
 いかにもなごやかな情景、親と子の愛情が感じられる、お祭りなら最高潮の情景というように、いくつかある納得できるパターンが先行していく。被写体に対する写真家の視点が届かない、共感できる思いに入り込めない。「これこれここでスナップをしました」で終わっちゃっている人の作品は浮上できない。

 無理に面白くさせなくてもいいんです。泣かせてくれなくても、感動させてくれなくてもいいんです、そこでカメラを構えてシャッターを切った作者の存在も含め、「ここ」と「そこ」をつないでくれる豊かなイメージを内容として描いてほしい。

 別に新しい言葉でもなんでもありませんが、最近「ストレートな写真」という言葉をあらためて使い始めました。被写体は何でもいい。ストレートな写真が撮りたい。

 ストレートだから一直線。小細工をしない。ストレートに伝えたい、伝わる写真という意味もあります。ストレートに被写体(人間とその世界)に相対したスナップ写真という受け取り方もできます。昔からそんなことを思っていましたけれど、精神論に入っていくのはちょっといやだな、と言葉にはしてきませんでした。また昨今は「肖像権」という問題が道をはばんでいこうとしている。でも、あえて言葉にします。小じゃれた写真じゃなくて「ストレート」でいい。これは「ストリート(路上)」の写真にかぎりません。

 写真は本来、自由度の高いもので、型どおり、お手本どおりに撮るものではありません。

 写真家にはそれぞれアイデンティティーがあります。例えば、ぼくがハービー・山口さんのまねをしても絶対に同じようには撮れない。人を撮らせてもらおうという意識は同じでも、それ以降の展開は写真家によってみんな違います。そこにカメラやレンズの選択とか、それをどう使っていくかという意識も働き、被写体との間合いが決まり、最終的には撮り手の個性みたいなものが被写体を包括していくだろうと思います。

 これから、それを踏まえたうえで、ぼくがスナップショットの基本形だと思っていることをみなさんに伝えていきたいと思います。

文・大西みつぐ

※『アサヒカメラ』2019年11月号より