(c)西本喜美子 ※アサヒカメラ9月号より
(c)西本喜美子 ※アサヒカメラ9月号より

 現在、腰を悪くした喜美子さんは外出を控え、室内での撮影が多い。約10年前に自宅の一室に作られた透過光撮影ができるスタジオで撮影に没頭している。題材を求めて出歩かなくても、喜美子さんにかかると周囲にある全てが撮影対象となる。例えば、机の上に置かれた乳酸飲料の容器をどう撮影するのか、喜美子さん流アプローチを聞いた。

「どういうふうに撮ろうかなとまず考えます。形として平凡だから、少し動かしてみようかなとか、花瓶にしてみたらどうかなあとか。あとは切ったりして形を変えて撮影しますね」 

 そして、20~30分かけ3、4パターンの撮影に挑んだ後、カメラの液晶画面では小さすぎて分からないので、パソコンに取り込んでモニターで画像を確認する。

(c)西本喜美子 ※アサヒカメラ9月号より
(c)西本喜美子 ※アサヒカメラ9月号より

 また、スチール缶の灰皿の表面に描かれたカラフルな水玉模様を大きくボカして撮影し、ウェットな世界を構築したりもしている。喜美子さんは専門用語や知識を持ち合わせていないが、自分が面白いと感じる写真に少しでも近づくよう、被写体をあらゆる角度から捉え、光が創り出す世界を感覚的に直感的に見極めているようだ。この飽くなき探究心が、唯一無二の作品を生み出していると思われる。

■無口な人生が写真に出合い変わった

 70歳を過ぎて写真にのめり込んだ喜美子さんの人生は、どう変わったのか。ブラジル・サンパウロに生まれ、帰国後の学生時代に戦争を体験、美容師、競輪選手となった後に結婚し、子ども3人を育てる。和民さんからすると、無口な母親という印象だった。しかし、写真教室に通い、仲間ができてからはどんどんおしゃべりになっていった。

「自分の人生は、写真をやっていなかったらどうなっていたんだろうと思いますね。私にはすぐにお友だちになろうとする悪い癖があって(笑)。真剣に考えてくれたり、いろんなことを教えてくれたりする友だちがたくさんいて、本当にうれしいです。自分の年齢は忘れました。若いメル友もいっぱいいますよ」

次のページ
モデルとして掲載される