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 ところが、原子力部門の直属の上司からは、「MBA留学などすれば、原子力技術者としてのキャリアに傷がつくぞ」と猛反対された。原子力部門から海外留学する場合は、マサチューセッツ工科大学(MIT)やカリフォルニア大学バークレー校の原子力工学科に進学するのが出世コースとされており、技術系社員のMBA留学は事実上禁止されていた。このようななか、筆者はこれからの東京電力には、原子力を規制で守られた産業としてではなく、グローバル規模のビジネスとして成長させられる人材が必要不可欠になることを懸命に説いた。

 なんとか上司の了解を得たうえで、社内選考を通過することができたが、世界ランキング上位30位以内のビジネススクールに合格できなければ、留学資格取り消しになるという条件付きだった。2001年後半から2002年はじめにかけて、第一志望のスタンフォード大学GSB(経営大学院)を含む複数のビジネススクールを受験し、結果発表を待った。

 2002年春、翌日からの海外出張の準備で慌ただしくしていたところ、職場の同僚から「立岩さん、外国人から英語で電話がかかってきています!」と大声で伝えられた。電話をかわると、GSBのデリック・ボルトン学長補佐が、直々に合格を知らせてくれた。その後伝説となる、ボルトン学長補佐(2002年から入学選考の責任者に就任)による世界中の全合格者への直電のはじまりの年だった。

 GSB受験時の小論文テーマ、“What matters most to you, and why?”では、“Establishing a perfect energy world.”、すなわち「持続可能で環境にやさしいエネルギー基盤の構築」という目標を書いた。これは、いまだにぶれない筆者のキャリアゴールであり続けている。

■人生でもっとも濃密な2年間

 幼少期の9年間を米国で過ごし、日本人のなかでは英語力やグローバル対応力は相当あるほうだと自負していたが、GSBでの授業初日に、その自信は脆くも砕け散った。クラス・ディスカッションの内容は聞き取れるものの、瞬時に気の利いた発言をする瞬発力と度胸が、圧倒的に不足していたのだ。GSBを含む欧米のビジネススクールでは、ケーススタディと称する、具体的な企業で生じた実際の事例に基づき、自分が経営者だったらどのような意思決定を行うかについて学生同士が議論し、実践的に学ぶ授業が多い。

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ある日、隣に座ったクラスメートからわたされたのは…