高卒1年目のデビュー戦で、巨人相手にノーヒットノーランを達成したのが、1987年の中日・近藤真一だ。

 前年のドラフトで、5球団が競合した超高校級左腕。「選択確定」を引き当てたのは、近藤が熱望していた地元・中日の星野仙一監督だった。

 そんな強運の星の下に生まれた18歳のルーキーは、8月9日の巨人戦でいきなりプロ初先発初登板のマウンドに上がった。

 誰も予想しなかった“サプライズ先発”に、駒田徳広、岡崎郁、篠塚利夫ら左打者をズラリと並べた巨人は、完全に意表をつかれた。

 もともと“初物に弱い”ジンクスがある巨人打線は、「思い切り投げれば、打たれても悔いはない」と開き直った近藤の前に手も足も出ない。

 一方、中日打線は初回に落合博満の2ランなどで3点をプレゼント。気楽になった近藤は「ボールになってもいいやと、練習のつもりで投げた」フォークで4番・原辰徳を三振に打ち取るなど、面白いように三振の山を築いていく。

 そして、6対0で迎えた9回2死、篠塚から13個目の三振を奪った瞬間、史上56人目(67回目)のノーヒットノーランが達成された。1軍初登板での達成は、もちろんNPB史上初の快挙だった。

 2年目に肩を痛め、通算12勝17敗で引退した近藤だが、ノーヒットノーランデビューのスーパールーキー伝説は、今も色あせることはない。

 プロ4年間で通算1勝ながら、その1勝が“一世一代のピッチング”と呼ぶにふさわしい快投だったのが、日本ハムの初代ドラフト1位・鵜飼克維だ。

 73年のドラフトで、日拓ホームを買収したばかりの日本ハムに1位指名された26歳の子連れルーキーは、社会人きっての本格派左腕として「新人王最有力」と期待された。

 だが、1年目の74年は、11試合で0勝2敗、防御率10.20と不本意な結果に終わる。

 翌75年も飛躍のきっかけを掴めないまま前期(当時のパ・リーグは2シーズン制)を終えた。後期も左打者の多い近鉄を相手に2試合先発したが、どちらも序盤で降板し、“左封じ”の仕事をはたすことができなかった。

次のページ
一世一代の投球に「人生で一番うれしい日」