ジャンナさんは医師の仕事の傍ら、国内避難民に薬を配るなどのボランティア活動もしている。3月、南東部マリウーポリ市がロシア軍に破壊された時、多くの人がザポリージャに避難してきた。ジャンナさんは、その模様を話し始めた。

「ある母親と父親が車に子供を乗せて、避難してくる途中のことでした。子供は車の床部分に伏せるようにして隠していたんです。でも、近くに着弾したロシアのミサイルの破片が父親に当たって……」

 と言って絶句。大粒の涙を流した。

 筆者の案内役をしてくれていたジャンナさんの義兄が「30年来の付き合いだが、あんな取り乱す姿は初めて見た」。ジャンナさんは笑みを絶やさない人柄。義兄は「患者の悩みを聞き続けて、彼女も相当、心の中にたまっているものがあるのでしょう」と話した。

 ロシアの砲撃が絶えないため、ボランティア活動も命がけだ。クリニックで、砲弾の破片があたったものの、奇跡的に助かった患者のエコー映像を見せてくれた。

砲弾の破片を受けた患者の画像=ザポリージャ市で、岡野直撮影
砲弾の破片を受けた患者の画像=ザポリージャ市で、岡野直撮影

 その患者は5月、乗用車でボランティアとして物資を運んでいて、砲弾の大きな破片が頸動脈の近くに達した。それを手術で取り除いたが、今もなお130個の小さな破片が頭部に残る。その影響で聴力を失い、右半身がマヒしたという。

 誰がいつ死んでもおかしくない。それがザポリージャの現実だ。ジャンナさんは、ミサイルに直撃された市内の9階建てアパートに連れて行ってくれた。市当局によると、そこは10月9日、はじめに1~7階が崩れ、8~9階部分は持ちこたえていたものの、しばらくして崩れ落ちた。12人が亡くなった。ミサイルが当たったのはアパートの中央の部分で、そこがすっぽりなくなる一方、左側と右側が残り、二つの建物のように分裂したままだ。そこにはまだ人が住んでいるという。

ロシアのミサイル攻撃を受けたアパート=ザポリージャ市で、岡野直撮影
ロシアのミサイル攻撃を受けたアパート=ザポリージャ市で、岡野直撮影

 跡地に、パンダの絵が表面に描かれた箱型のおもちゃなどが残っていた。近くを警備していた警察官は「ミサイルは(ロシア南部の)カスピ海(の海軍軍艦)から飛んできました」と話した。ロシア軍はザポリージャから約1000キロ離れた、ロシアにとっては安全な場所から攻撃しているらしい。

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