駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使を歴任した多賀敏行・中京大学客員教授(写真本人提供)
駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使を歴任した多賀敏行・中京大学客員教授(写真本人提供)

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)による高額な献金被害の実態が明らかになるとともに、テレビでコメントする政治家やタレント、SNSで自身を「自分は無宗教」などと口にする人が増えてきた。日本国内では違和感を覚えない言葉だが、「海外で『無宗教者だ』とうかつに口にするのは注意が必要」と話すのは、駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使を歴任した多賀敏行・中京大学客員教授。なぜなのか。多賀さんに話を聞いた。

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 日本は、伝統宗教ともいうべき仏教や神道に対しては、抵抗の少ない国です。しかし、安倍晋三元首相の銃撃事件に端を発する形で、新興宗教と政界のつながりや高額な献金被害が明らかになるにつれ、「宗教」という言葉への警戒感が高まっているように感じます。

 テレビに出演する政治家やコメンテーターや俳優、タレントを見ても「自分は無宗教ですが」あるいは、「案内されたのは無宗教の会合でした」と、前置きをする人が目につくようになりました。

これはつまり、「無宗教」と半ば積極的に言葉にすることで、自分を安全地帯に置こうとしている印象を受けるのです。

 しかし、相手の国籍や文化が異なる状況で、「自分は無宗教です」と口にする場合、使う単語によっては嫌われたり怒らせたりする可能性もあります。日本の感覚とはまるで異なるので注意が必要です。

「覚悟が必要だ」と外務省の上役

 インターネットの辞書で「無神論者」を検索すると、「atheist(エイシエスト)」という単語が出てくる。なので、こう言いたくなります。

「I’m an atheist(私は無神論者です)」

 しかし、海外で無神論者は、「神をおそれない傲慢な人」「不遜な考えを持つ人」というふうに受け止められます。

 これを私が最初に教えられたのは、外務省の新人研修でした。

 当時は、東京都文京区の茗荷谷にあった外務省研修所で3カ月間、外交のイロハを学びました。当時の副所長は、開口一番、私たちにこう言い放ったのです。

「君たちのなかで、外国の人に対して『自分は無宗教主義者だ』と言いたい人はそう伝えなさい。ただし、相手から反論が出てくるので、それに答える覚悟が必要である」

 それ以上、具体的なことには踏み込ませんでした。しかし、異なる国と文化圏の人びとを相手に「無宗教主義」と告げることへの配慮を最初に教えられた場でした。

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「無宗教主義者」と言ったときの反応